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新城藩(しんしろはん)は、三河国に江戸時代前期に存在した藩。藩主は水野氏。居城は新城城〔二木謙一監修・工藤寛正編『国別 藩と城下町の事典』東京堂出版、2004年、344ページ〕(現在の愛知県新城市字東入船)。徳川家家臣の水野分長が尾張国知多より1万石にて入封。その子元綱の時に上野国安中に移封となった。かわって徳川家家臣・菅沼氏が入府した。菅沼氏は旗本(交代寄合)であったため、以後江戸時代末期までの新城村は、菅沼氏の陣屋町となった〔菅沼氏はあくまで旗本であって大名ではないが、便宜上、旧・新城藩領の後継領主として付記する。〕。 == 藩史 == === 江戸時代以前 === 天正3年(1575年)の長篠の戦いで織田信長・徳川家康連合軍の勝利に貢献した奥平信昌は、戦後に信長と家康より賞賛された。そして、家康の命により豊川沿い下流に新城を築城することを命じられた信昌は、天正4年(1576年)9月に新城を完成させた。そして城下町の建設や領内の開発に尽力した。 家康が小田原征伐後に関東に移ると、新城は東三河4郡(宝飯郡・設楽郡・渥美郡・八名郡)15万2000石を統べる三河吉田城主として入封した池田輝政(当時は照政)の支配下に入った。新城には、照政の配下である片桐半右衛門が代官として赴任、川舟による吉田城への領米供出などを請け負った。一方で、野田城を破却した上に、新城とは別に代官所を新たに設けるなど、家康勢力下の菅沼氏・奥平氏の風潮を排し、池田氏の支配色を強めようとした感も推測される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新城藩」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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