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== 沿革 == 当時の大阪建物(旧・大阪ビルヂング、現・ダイビル)会社では、1925年(大正14年)に大阪・中之島の地において大阪ビルヂングの建築を、1927年(昭和2年)には東京・内幸町の地にも大阪ビルヂング東京分館の建築をそれぞれ成し、先述の地において新館を増築するなどしながら営業活動を行っているところであったが、それに続くものとして新たなる貸事務所の建築を企てていた〔『大阪建物株式会社50年史』 58-66頁、72-77頁〕。会社は、その意図をもって、大戦中の空襲で建物焼失した後は米軍拘置所として同軍に接収されてあった現・大阪府大阪市北区堂島浜一丁目2番6号の敷地を順次取得し、さるに1953年(昭和28年)4月28日には接収が解かれて、1955年(昭和30年)10月に至っては目論んだ全てを手中とした〔。 然るに、計画は当時の経済情勢などもあって遅れることとなり、この期間敷地は野球場、米国製遊戯機械の見世物ならびに中国見本市の会場などとして暫定利用されていたが、1956年(昭和31年)9月28日には第1期工事として南館が起工の運びとなり、1958年(昭和33年)4月30日には竣工を迎えた〔。1961年(昭和36年)4月20日からは第2期工事として北館が起工され、1963年(昭和38年)10月25日には竣工し計画は完成を見た〔。 建築は改装がなされるなどしながら40年以上にわたって維持されたが、2007年(平成19年)に至って会社は超高層建物への建て替えを発表した〔「新ダイビル」建替計画について ダイビル株式会社、2007年5月25日付、2011年7月6日閲覧。〕。これに対して日本建築学会近畿支部は会社に保存要望書〔新ダイビルの保存に関する要望書 日本建築学会近畿支部、平成19年8月8日付、2011年7月6日閲覧。〕を提出。会社はこれに回答〔新ダイビルの保存に関する要望書(近畿支部)(回答) ダイビル株式会社、2010年9月10日付、2011年7月6日閲覧。〕はしたものの要望は受け入れず、ついに2010年(平成22年)をもってこれを取り除いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新ダイビル」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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