|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 新 : [しん] 1. (n,n-suf,pref) new ・ 新妻 : [にいづま, しんさい] (n) new wife ・ 妻 : [つま] 【名詞】 1. (hum) wife ・ 四 : [よん] 1. (num) four
新妻 四郎(にいづま しろう、1898年〔新妻四郎、キネマ旬報映画データベース、2010年2月18日閲覧。〕〔『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月、「新妻四郎」の項。〕8月15日 - 1951年5月29日)は、日本の俳優である。元映画製作庶務から俳優に抜擢された。新妻 英助(にいづま えいすけ)とも名乗った〔新妻英助、日本映画データベース、2010年2月18日閲覧。〕。 == 人物・来歴 == 1898年(明治31年)8月15日、福島県に生まれる〔〔。 1920年(大正9年)、京都の日活大将軍撮影所に入社、庶務係に配属される〔。1925年(大正14年)、その体躯が気に入られ〔、尾上卯多五郎主演、池田富保監督のサイレント映画『フラフラ豪傑』の「黒雲魔太郎」役〔に抜擢される〔。同作は同年3月20日に公開され〔フラフラ豪傑 、日本映画データベース、2010年2月18日閲覧。〕、満26歳での映画俳優デビューとなった。「髭の大男」として人気を得る〔。1926年(大正15年)、池田富保監督の『実録忠臣蔵 天の巻 地の巻 人の巻』で初めて「不破数右衛門」を演じ、以降、同作も含めて5回演じるあたり役となった〔。 1930年(昭和5年)、池田富保監督の『元禄快挙 大忠臣蔵 天変の巻 地動の巻』から「新妻英助」と改名、1933年(昭和8年)、犬塚稔監督の『長脇差風景』を最後に日活を去るまで名乗った。同年、松竹下加茂撮影所に移籍〔〔、芸名を「新妻四郎」に戻す〔侠客春雨傘 、日本映画データベース、2010年2月18日閲覧。〕。 第二次世界大戦後、1946年(昭和21年)にマキノ正博監督の『粋な風来坊』〔〔、翌1947年(昭和22年)には高木孝一監督の『モデルと若様』といった松竹京都撮影所製作の作品に出演した〔。 以降の経歴・消息は不明とされる〔が、1951年(昭和26年)5月29日、死去した。満52歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新妻四郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|