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株式会社婦女界社(ふじょかいしゃ)は、かつて存在した日本の出版社である〔''婦女界社''、国立国会図書館、2012年7月2日閲覧。〕〔''婦女界社''、国立情報学研究所、2012年7月2日閲覧。〕。婦人雑誌『婦女界』を同文館から引継ぎ、編集発行したことで知られる〔〔。 == 略歴・概要 == 羽仁吉一・羽仁もと子夫妻による婦人之友社にいた都河龍(つがわ しげみ、1880年 - 没年不詳)が、同文館(現在の同文舘出版)が編集発行していた婦人雑誌『婦女界』の権利の譲渡を受け、1912年(大正元年)11月28日に設立、『婦女界』は、1913年(大正2年)1月発行の第7巻第1号から同社が編集発行を開始した〔松本、p.10.〕〔動く絵本 お伽の森 、大阪府立中央図書館、2012年7月2日閲覧。〕。1920年(大正9年)には、『母之友』を創刊している〔〔。1922年(大正11年)3月18日には、同社社主の都河は、画家の岡本一平とともに世界一周の旅に出発、その様子を同年、『世界一周名所写真帖 創立十周年記念』として出版する〔岡本一平、p.1-3.〕〔岡本かの子、p.466.〕〔世界一周名所写真帖 創立十周年記念 、国立国会図書館、2012年7月2日閲覧。〕。設立時の所在地は不明だが、1923年(大正12年)に落成した麹町区永楽町1丁目1番地(現在の千代田区丸の内1丁目4番1号)の丸ノ内ビルヂング355号に入居している。戦後、衆議院議員になる倉石忠雄が1920年代に入社しており、都河の次女と結婚し、のちに常務取締役に就任している。1930年代には、麹町区九段4丁目13番地(現在の千代田区九段南4丁目)に移転している〔『昭和十二年 日本新聞年鑑』、p.63.〕。 第二次世界大戦中の1943年(昭和18年)3月、『婦女界』の休刊を余儀なくされたが、同大戦終結後の1948年(昭和23年)1月、編集発行を再開する〔〔。1950年(昭和25年)7月26日に行われた第8回国会大蔵委員会での宮腰喜助議員の指摘によれば、当時の財団法人交通公社(現在の公益財団法人日本交通公社)は、前年に、婦女界社に対して4,000万円にのぼる融資をしていたとのことであり〔第8回国会大蔵委員会 第9号 、国立国会図書館、2012年7月2日閲覧。〕、このころには、同社は「婦女界新社」〔『婦女界』第38巻第1号、奥付。〕と改称、同年1月発行の第38巻第1号は「復刊二周年記念新年特大号」と銘打ったが〔『婦女界』第38巻第1号、表紙。〕、同年内には、再度休刊してしまった〔''婦女界''、国立情報学研究所、2012年7月2日閲覧。〕〔婦人雑誌 、現代美術用語辞典、2012年7月2日閲覧。〕。『婦女界』は、1952年(昭和27年)、主婦の友社出身の西村邦子による、同社とは別組織の婦女界出版社(現在のオクターブ)が再復刊したが、同年11月には休刊している〔。 1953年(昭和28年)発行の『文藝年鑑 一九五三年版』には、「新婦女界社」〔原文ママ、『文藝年鑑 一九五三年版』、p.76.〕は、都河龍を代表とし、『新婦女界』を発行し、渋谷区代々木千駄谷四丁目713番地に社を構えている旨の表記がある〔『文藝年鑑 一九五三年版』、p.76.〕。婦女界社ならびに婦女界新社(あるいは新婦女界社)のその後の活動は不明であるが、同社の刊行物は、大空社が『傳記棚橋絢子刀自』(中村武羅夫、1938年)を1989年(平成元年)に、『越えて来た道』(都河竜、1930年)を1992年(平成4年)に、『南方地名辞典』(南洋事情研究会、1942年)を2007年(平成19年)に、女性モード社が『正しい化粧と着付』(遠藤波津子、1926年)を1997年(平成9年)に、それぞれ復刻されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「婦女界社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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