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新小岩駅前米軍機墜落事故(しんこいわえきまえべいぐんきついらくじこ)とは、1956年(昭和31年)2月3日に、東京都にある総武本線新小岩駅のすぐ近くに在日米軍の戦闘機が墜落した事故である。 この事故で米軍パイロット1名が死亡し、地上に居た日本の民間人多数が重軽傷を負った。 == 事故の概要 == 1956年(昭和31年)2月3日、神奈川県の厚木基地を3機のFJ-2フューリー戦闘機が離陸した。この3機の戦闘機は、離陸後に神奈川県東部や東京都の都市部など、建物が密集する地域の上空において飛行訓練を始めた。当時、日本政府と在日米軍の間の取り決めでは、日本の都市部の上空で米軍機の飛行訓練をする事は禁止されており、また単に都市部上空を飛行して通過する場合でも、最低地上高度300メートル以上を保つ事や、激しい騒音が出ない程度の速度を保つなど、色々な決まりがあったが、当該事故機を含む3機の在日米軍の戦闘機はそれら規則を無視して、ビルや住宅の密集する神奈川県や東京都の都市部上空において飛行訓練を実施していた。 そして飛行訓練中の午前11時頃、3機のうち1機が高度3万フィートの上空で急旋回していた時に、突如エンジンが故障。旋回中で機体を傾けていたところに推力を失ったので、そのまま機首を下に向けてキリモミ状態となった。そして急速にキリモミ状態のまま落下して行き、午前11時3分頃に葛飾区下小松町719番地の民家密集地帯に墜落し、爆発炎上した。 墜落現場は新小岩駅の北口より約100メートルほどの商店が立ち並ぶ繁華街で、商店街の目抜き通りから東へ少ししか離れていない場所だったため、もし墜落地点があと西の方へ少しずれていた場合、何十人もの死者が出るところであった。実際、この場所は買い物客など昼間は人が多いため、墜落事故が発生した後は、それらの人達が野次馬となって大勢押しかけ、一時現場は騒然となった。 この事故で墜落地点近くの民家に住む53歳の女性が右足を骨折、28歳の女性とその1歳の息子がそれぞれ顔や腕などに火傷を負った。また、消火活動に駈け付けた39歳の男性も足に火傷を負ったり、飛び散った破片で軽症を負う者が出たりした。これらの負傷者の多くは、墜落現場の近くにある松永病院等へ搬送された。 墜落後、ただちに本田消防署と向島消防署から化学消防車2台が出動。そして燃え盛るジェット燃料の消火に、化学消防車に搭載されていた消火剤(ホーマイト液)を使って消火活動を行ったが、積載されている消火剤を全て使い切ってもなお事故機の火災は鎮火せず、墜落地点よりかなり遠い王子消防署からも1台の化学消防車が応援に出動して消火にあたるほど、火勢は強かった。また、それ以外の普通の消防車も多数現場に駆けつけ、付近に類焼した場合に備えて警戒にあたるなどした。 これら日本の消防による懸命な努力で、火災は民家5棟計50坪が焼ける被害は出たものの、11時52分頃にはようやく鎮火した。しかし、墜落機から漏れ出た燃料の一部が近くの下水道に流れ込むなどしたため、付近一帯はいつまた火災が発生してもおかしくない状況となっていた。そのため、警察や消防の車が走り回って付近の住民に対して火気厳禁を伝えるなど現場の規制は続き、付近一帯は夕方近くまで混乱を極めた。 火災鎮火から2時間以上も経った午後2時頃になって、ようやく羽田空港の米軍工作隊が墜落現場に到着。この米軍工作隊は二次災害を食い止めるため、ジェット燃料が流れ込んだ下水道内に消火剤を撒くなどした。 火災の心配がなくなった午後3時頃から、日本の警察と厚木基地の海兵隊による合同の現場検証が始まった。そして午後4時頃になって、墜落地点の地面にめり込んでいた墜落機の残骸の中から肉片が見つかり、これにより事故機のパイロットの死亡が確認された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新小岩駅前米軍機墜落事故」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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