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新島八重子 : ミニ英和和英辞書
新島八重子[にいじま やえ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しん]
  1. (n,n-suf,pref) new 
: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [やつ]
 (num) eight
八重 : [やえ]
 【名詞】 1. multilayered 2. doubled 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

新島八重子 ( リダイレクト:新島八重 ) : ウィキペディア日本語版
新島八重[にいじま やえ]

新島 八重(にいじま やえ〈やゑ〉、弘化2年11月3日1845年12月1日) - 昭和7年(1932年6月14日)は、江戸時代末期(幕末)から昭和初期の日本の女性。同志社創立者の新島襄の妻として知られる。旧姓は山本。一部の手紙などでは「八重子」と署名してあることから、史料によっては新島八重子と書かれる場合もある。勲等勲六等宝冠章皇族以外の女性としてはじめて政府より受勲した人物〔歴史秘話ヒストリア「明治悪妻伝説 初代“ハンサムウーマン”新島八重の生涯」 〕。
== 生涯 ==

=== 会津時代 ===
弘化2年(1845年)、会津藩の砲術師範であった山本権八佐久夫妻の子として誕生する〔鈴木(1998年)〕。慶応元年(1865年)、但馬出石藩出身で藩校日新館の教授を務めていた川崎尚之助と結婚。慶応4年/明治元年(1868年)に会津戦争が始まると、鉄砲を主力に戦うべきと考え刀や薙刀で戦うとした婦女隊には参加せず〔みんゆうNet 会津の華は凜として - 新島八重の生涯 - - 福島民友新聞社〕、断髪・男装して家芸であった砲術をもって奉仕し、鶴ケ城籠城戦では自らもスペンサー銃を持って奮戦した〔。敗戦後、捕虜となった夫と生き別れる。なお、かつては会津籠城戦前に離婚したとされていたが、実際に離婚手続きが取られたのは明治4年(1871年)旧暦12月のことである〔あさくらゆう 『川崎尚之助と八重』 知道出版 (2012年)〕。
明治3年(1870年)、夫・尚之助に教えを受けた米沢藩士・内藤新一郎の世話で、1年ほどを米沢で過す。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「新島八重」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yamamoto Yaeko 」があります。




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