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新庄 直時(しんじょう なおとき)は、常陸麻生藩の第4代藩主。後に再任して第6代藩主となる。 == 生涯 == 寛永3年(1626年)、初代藩主・新庄直頼の四男・新庄直房の次男として江戸で生まれる。寛永20年(1643年)6月27日に御書院番に任じられる。慶安2年(1649年)12月14日、父・直房の遺領である甲斐山梨郡・八代郡など500石の所領と家督を継いで旗本となる。 本家の麻生藩第3代藩主・新庄直好の実子・直常が早世したため、明暦2年(1656年)12月1日に直好の養子として迎えられる。万治3年(1660年)に直好に実子・直矩が生まれたが、寛文2年(1662年)に直好が死去したときは3歳の幼少であったため、そのまま直時が第4代藩主として家督を相続した。12月27日に従五位下・隠岐守に叙位・任官する。 寛文3年(1663年)7月に大坂加番に任じられる。寛文9年(1669年)2月には関宿城の守衛を務めた。延宝2年(1674年)8月9日、幕府に嘆願して許されたため、15歳に成長していた直矩に家督を譲って隠居した。ただしこのとき、直矩が若年であることから、幕命により直時には藩領から7000石を分与され、直矩は2万3000石を相続することとなり、さらに直時は直矩の後見役を命じられた。 延宝4年(1676年)4月30日、直矩が急死する。直矩には継嗣がなかったため、新庄一族は幕府に無断で新たな後継者を立てようとしたが、そのため幕命により改易となった。しかし6月21日、幕府は隠居していた直時に3000石を新たに加増して1万石の大名として麻生藩の再興を許したことにより、直時は第6代藩主として再任することとなる。 延宝5年(1677年)、幕命により大坂城守衛を務めていたが、病に倒れて7月27日に大坂で死去した。享年52。跡を長男・直詮が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新庄直時」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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