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新御堂筋(しんみどうすじ)は、大阪府の北部を南北に貫く幹線道路(国道423号)、地域高規格道路であり、北摂地区の大動脈である。 全国屈指の交通量を誇る道路であり、西日本では首位。新御堂(しんみどう)、新御(しんみ)と略される。陸上距離は大阪市北区西天満 - 箕面市白島までが最長距離で16.22kmである。上り線も同様である。 大阪市内の幹線道路は筋もしくは通で呼ぶ慣例(大阪市内の筋・通一覧を参照)があるが、大阪市外にまで伸びている唯一の例である。(中央大通も東大阪市の区間でも呼ばれることがあるが、正式に表記されていない。) == 歴史 == 構想自体は現在の御堂筋がまだ完成していない時点からあり、1926年の高速鉄道(地下鉄)計画では御堂筋線が江坂付近まで予定され〔新淀川大橋(しんよどがわおおはし) 大阪市ホームページ〕、1932年(昭和7年)の大阪市第二次都市計画事業の中では「北野豊津線」という路線が予定されていた〔新御堂筋線高架橋(しんみどうすじせんこうかきょう) 大阪市ホームページ〕。戦前の時点では新淀川に架ける新淀川大橋〔現在の橋は道路部分が普通の高架橋、地下鉄部分がアーチ橋になっているが、戦前の構想では清洲橋と同様の自錠式吊り橋として計画されていた。橋脚の割りが吊り橋仕様になっているのがその名残である。〕の地下鉄部分の橋脚が完成していたが、資金難と太平洋戦争勃発で工事は中止。戦後の1961年(昭和36年)に東海道新幹線の終点が工事計画地上の新大阪駅に決定したのに伴い工事が再開。1964年(昭和39年)にまず地下鉄部分と、新淀川大橋の上流部分(南行車線)が開通〔。新淀川大橋の残りの下流部分(北行車線)が1970年(昭和45年)の大阪万博開催前の1969年(昭和44年)に供用開始。大阪市(国道1号交点)から千里ニュータウンを経由し箕面市萱野(国道171号交点)を結ぶ大阪府道大阪箕面線が全面開通した。 1982年(昭和57年)4月1日、国道に昇格した。その後、国道423号は、大阪府道9号箕面池田線交点(白島)まで延伸され、2007年5月30日には箕面有料道路(箕面グリーンロード)も開通したが〔国道423号は萱野交点より西に折れて国道171号との重複区間となる。萱野交点以北の国道423号についてはバイパスである。〕、通称名としての「新御堂筋」としては、どの部分までを指すか、統一された認識は定まっていない。箕面有料道路が開通後は、白島2丁目交差点から北の本線(有料道路)部分は掘割となっている。また白島2丁目交差点は「白島南ランプ」として立体交差化される計画がある。(坊島4丁目交差点~大阪府道9号箕面池田線交点(白島)間は、1999年(平成11年)5月14日までは、大阪府道9号箕面池田線の「支線」として位置付けされていた)。 2003年(平成15年)3月、梅新南offランプ完成。従来は大阪市内中心部への出口は起点部の南森町ランプと梅新ランプしかなく、御堂筋・国道25号に流入するには梅新ランプを降りて国道1号梅新東交差点の信号を越えなければならなかった。この為に朝夕の渋滞時には新淀川大橋を超える渋滞もしばしばであった。この為に梅新東交差点をオーバーパスすることが検討され建設されるに及んだ。この新御堂筋 - 御堂筋直結offランプの完成・供用開始は大阪市内中心部行の渋滞緩和に大きく寄与している。 開通当初から、渋滞緩和と大気汚染防止の観点から日曜日と祝日を除いた午前9時 - 午後7時までの間は、新淀川大橋以南は大型車の通行が禁止されていたが、2005年(平成17年)8月29日より観光バスに限って通行規制が解除されることになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新御堂筋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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