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新村 英一(にむら えいち、1897年3月25日 - 1979年4月2日)は舞踊家である。本名は、三木富蔵。「新村英一」は、まだ舞踊家になる前、ボストンに向かう列車の中で新聞記事をヒントにつけた名前であり、「Nimura Yeichi」と表記する。 == 略歴 == 長野県上諏訪町(現諏訪市)生まれ。1918年単身渡米し、舞踊家を志す。セントデニス、テッド・ショーンらに師事。1925年ニューヨークのカーネギーホールでデビュー(デニショーン舞踊団)。1930年同じくニューヨークで発表会。舞踊における東洋と西洋の融合を果たす。その後、後に妻となるリサン・ケイを相手にヨーロッパ各地やカナダ、全米で巡回公演、各地で熱烈な支持を受ける。1940年ニューヨークの名門カーネギーホールに総合的な舞踊学校「バレエ・アート・ニムラスタジオ」を開設。ユル・ブリンナーやジーン・アーサーといった多くの舞踊家を輩出。第二次世界大戦終結後も一度も日本に帰ることなく活発な活動を続け、アメリカで没した。 舞踊家としての活動は国外であったが、故郷を思う気持ちは忘れず、宝塚歌劇団や歌舞伎のアメリカ公演や諏訪地方の精密機械業のアメリカ進出にも尽力した。長年の日米交流の功績から、1969年勲六等瑞宝章を受章。 1972年日本の後進育成のために私財を拠出、これにより「ニムラ舞踊基金」を設立。これを基に、1973年「ニムラ舞踊賞」が創設された。毎年、諏訪市教育委員会の主催により、バレエ、モダンダンス、コンテンポラリーダンスなどの舞踊家、振付家、作曲家、舞台美術家、評論家で、我が国の舞踊芸術の発展に著しく功績のあったアーティストに贈られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新村英一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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