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新東宝映画株式会社(しんとうほうえいが)は、日本の映画会社である。 == 略歴・概要 == === 前史 === 1961年(昭和36年)5月を最後に製作を停止した新東宝株式会社が同年8月31日に倒産、同年内に配給部門を大宝株式会社、製作部門をNAC(ニッポン・アートフィルム・カンパニー)に切り離し、旧・新東宝は清算に入った。やがて大宝は業務停止、NACはテレビ映画の受注製作を開始した。旧・新東宝は、1964年(昭和39年)に国際放映と名称を変更し、NACを吸収合併した〔国際放映 有価証券報告書 2009-01-31期 、有報リーダー、uforeader.com, 2009年9月12日閲覧。〕。「新東宝撮影所」は日本大学にほとんど売却したが、残った敷地が国際放映スタジオとなり、テレビ映画を製作した。「新東宝第二撮影所」はすでに大蔵貢の富士映画に譲渡されていた。 旧・新東宝には、配給網が存在し、製作停止によって作品の供給がストップしてしまったが、これをよしとしない同社の旧・関西支社の有志が自主配給・興行を始めた。これが現在の新東宝映画株式会社の前身、新東宝興業株式会社である(作品によっては新東宝興業関西名義の物もあり)。このため、同社は長らく本社を大阪に置き、1982年になってから本社を東京に移転している。同社は、1963年(昭和38年)には、旧・新東宝の監督である中川信夫・小森白・高橋典を監督に『日本残酷物語』を製作・配給しているが〔日本残酷物語 、日本映画データベース。〕、同年の製作は同作のみで、あとは洋画の配給を行なった。配給される洋画は、バーレスクのようなお色気もの、あるいは海外でのレヴュー(の映像収録作品)といった中短編の外国映画が主体であった。 新東宝に関係していた監督や脚本家を用いて、のちにピンク映画と総称されるようになる短編の成人映画を続々と製作していく。当初は旧新東宝系の上映館を中心に配給していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新東宝映画」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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