|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 新 : [しん] 1. (n,n-suf,pref) new ・ 沢 : [さわ] 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale ・ 千 : [せん ち, ち] 【名詞】 1. thousand 2. many ・ 塚 : [つか] 【名詞】 1. mound ・ 古 : [ふる] 【名詞】 1. used 2. secondhand ・ 古墳 : [こふん] 【名詞】 1. ancient (mound) tomb
新沢千塚古墳群(にいざわせんづかこふんぐん)は、奈良県橿原市北越智町・川西町に位置する前期〜後期〔最盛期は中期の後半から後期前半までと考えられている(西藤(1991) 77-79ページ)。〕に形成された日本有数の大古墳群(群集墳)である。1976年(昭和51年)3月31日に国の史跡に指定された。 == 概要 == 奈良盆地の南部にある畝傍山の南方に広がる東西2キロメートル、南北約2キロメートル余りの丘陵(越智岡丘陵、標高約150メートル)に位置する、径約10〜15メートルの円墳など総数600基以上の一群の墳墓(群集墳)である。これらの墳墓は4世紀末から7世紀にかけて造営され、特に5世紀半ばから6世紀末まで盛んに作られた。「川西(かわにし)千塚」「鳥屋(とりや)千塚」とも呼ばれた。この古墳群の氏族ないし埋葬者は特定されていない。 発掘調査は1947年(昭和22年)に始まり、1962年(昭和37年)には本格的調査が実施された。このとき粘土槨を内部主体とする500号(前方後円墳)を含む23基の古墳が発掘された。500号墳では古墳時代前期に類する副葬品が検出され、その中には懸垂鏡といわれる珍しい銅鏡が含まれていた。その後史跡にも指定されている。 1960年代に同志社大学などにより調査が行われ、約130基が調査された。武具・馬具をはじめとして副葬品は豊富に出土したが、5世紀後半の126号墳〔1963年(昭和38年)調査。東西約22メートル、南北約18メートルの長方形墳。長さ約3.1メートルの割竹形木棺を直葬している(西藤(1991) 77-79ページ)。〕からは金・銀・ガラス・ヒスイを用いた大量の装飾品が遺骨に装着したままの状態で出土〔頭の所には冠の金具とみられる竜の形の透かし彫りのある金製方形板、そばに3条の細かい鎖付の耳飾りと金銭をコイル状にした髪飾りが一対、首飾りにはヒスイの勾玉や金・銀・ガラス製玉類、左腕には金製と銀製の腕輪、右腕には銀製の腕輪、指には5個の金製指輪と3個の銀製指輪、腰部には金メッキの飾り板付きベルト、足元には靴に付けられていたガラス玉が散らばっていた。また、棺内全体に金製の歩揺(ほよう)が散らばっていた(西藤(1991) 77-79ページ)。〕し、また火熨斗(ひのし、炭を入れてアイロンとして使用した金属器)が日本で初めて出土したり、中国を経由せず西域から新羅経由でもたらされたと見られるローマンガラス製品が出土したりするなど、全国的に大きな話題となった。2014年には出土品のガラス皿について、化学組成がローマ帝国領内で出土したローマ・ガラスとほぼ一致することが東京理科大学の阿部善也らの蛍光X線分析で判明した。これは日本国内の古墳出土品のガラス器がローマ帝国伝来と裏付けられた初めての例である〔奈良で出土の皿、ローマ帝国から? 化学組成ほぼ一致 、朝日新聞、2014年11月13日。〕。 126号墳の出土品は東京国立博物館に所蔵されており、一括して国の重要文化財に指定されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新沢千塚古墳群」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|