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新海三社神社(しんかいさんしゃじんじゃ)は、単に「新海神社」とも言われる。 信州佐久の田口(現長野県佐久市田口)御鎮座の神社。旧県社で「佐久総社」。御祭神は興萩命・建御名方命・事代主命・誉田別命。御神紋は梶葉。創祀年代は不詳。三重塔、東本社、御魂代石等は文化財〔『神社考』双葉印刷、昭和59年3月10日、全304頁〕。 == 概要 == 主祭神の興波岐命(おきはぎのみこと)は出雲の大国主大神の孫神で、佐久の開拓神である。興波岐命の父神は諏訪の建御名方命で、母神は上野貫前女神(荒船大明神)。なお、境内や付近には「四十八塚」と言われる古墳群があり、古代信仰の痕跡だとの説もある。古墳時代に県神社であったとされる新海神社三社神社は、武家時代になると諏訪神等の影響を受け、佐久から上田方面までの広大な地域を勢力圏を誇った。なお、新海三社神社の別名を佐久神社、開(さく)神社という。これは興波岐命が佐久地方開拓の祖神であるからだという。南北朝時代の「諏訪大明神画詞」には「新開之神」(にいさくのかみ)として紹介されている。ところで佐久の式内社に新海三社神社は含まれていない。佐久の総社たるこの古社こそ式内社であるべきだとして、江戸時代に大論争となった。さて、明治初年の神仏分離令では新海神社三社神社の三重塔も破壊される予定だったが、神社では「これは塔ではなく倉庫である」と申し出たところ、それが認められ、今も境内に室町時代の三重塔が聳えている。一方、戦前まで新海三社神社の御神幸が行われていた。乗馬神職が南北佐久から小県一帯を神幸する大神事であった〔『佐久の神社と信仰』信濃教育出版部、1989年11月15日発行、261頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新海三社神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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