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新潟方式(にいがたほうしき)は、新潟県で実施される選挙において民主党(2002年4月の参院補選時には自由党も参加)、社民党、連合、市民グループ(緑・にいがたなど)の4者が無所属候補を共同で擁立する方式のことを言う。なお、本項では衆院選小選挙区レベルのものは市民グループによる推薦の有無が確認できないため便宜的に除外し、全県レベルの選挙に限定して扱っている。 == 概要 == これまで主な選挙では、2002年4月の参院補選、2004年7月の参院選、同年10月の新潟県知事選において実施された。 前2回はそれぞれ黒岩宇洋、近藤正道の当選に成功。しかし、この期間、黒岩は無所属だったが近藤正道は社民党県議からの立候補だったこともあり2005年1月に無所属のまま社民党会派入りした。社民党主導で民主党・西村智奈美代議士の大学時代の師匠に当たる多賀秀敏を擁立した県知事選では、民主党の渡辺秀央参議院議員ら旧自由党系が自民党・公明党推薦の泉田裕彦を支持した(自公両党が民主党分裂を誘うために泉田に乗ったとの説もある)ため同党は県連による支持に留めたこともあり、十分には機能しなかった。(泉田裕彦#知事選結果を参照) その後、修復に向けた動きもあったが、黒岩が「3年間は無所属」の公約を守った後に2005年12月に民主党入りしたことや、2007年4月の新潟県議選において民主党が全選挙区で公認候補を擁立する方針を打ち出した〔結局、民主党は全選挙区での公認擁立こそ実現できなかったが、それでも両党は公認候補だけでも3選挙区で対決となった。その結果、上越市では両党候補ともに当選したものの、新潟市中央区、長岡市・三島郡では民主党候補のみ当選して社民党候補が落選となった。また、五泉市・東蒲原郡では社民党候補が落選して民主党推薦の無所属候補が当選する事態となった。〕ことなどに対抗したのか、社民党は2007年7月の参院選に山本亜希子(前新潟市議)を擁立した。このことから新潟方式は事実上破綻したと見られるが、他県に見られる民主党・社民党の共闘関係が新潟においては完全に消滅したとまでは言い切れないことにも留意する必要があろう。 なお、連合は2007年7月の参院選において黒岩のみ推薦している。また、国民新党が森を推薦したことにより、それぞれの方向性にあった支援を受け2人区の新潟地方区では自民党候補の2倍の票数を民主党候補2名と社民党候補の計3名で得ており野党連合のあり方次第では全国で唯一、非自民・公明で2人が当選できる可能性を示唆する結果となった。 2009年の第45回衆議院議員総選挙では民主党が全選挙区で民主党が候補者を擁立したために、この関係が完全に崩れたと思われたが、翌年の第22回参議院議員通常選挙では2人区以上では複数擁立を目標としていた民主党だったが新潟県では田中直紀しか擁立せずに、近藤正道が与党二人目の候補者というような形式となり、近藤も社民党を離脱して無所属として選挙を戦った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新潟方式」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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