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新猪谷ダム(しんいのたにダム)は、岐阜県飛騨市、一級河川・神通川水系高原川に建設されたダム。高さ56メートルの重力式コンクリートダムで、北陸電力の発電用ダムである。同社の水力発電所・猪谷発電所・新猪谷発電所・新猪谷ダム発電所に送水し、合計最大5万6,900キロワットの電力を発生する。 == 歴史 == === 猪谷発電所の建設 === 岐阜県飛騨市神岡町、古くは奈良時代から採掘が行われていたとされる神岡鉱山で、初めて電灯による光が灯されたのは1894年(明治27年)のことである。その電気は神岡鉱山が所有する自家用水力発電所からの供給によるものであった〔『北陸地方電気事業百年史』11ページ。〕。鉱山および高原川の水利権を所有する三井鉱山(現・日本コークス工業)は五大電力の一角・大同電力と共同出資して神岡水電を設立し、電源開発を推進。1924年(大正13年)に跡津発電所(当時6,850キロワット)、1926年(大正15年)7月に中山発電所(当時1,000キロワット)、1929年(昭和4年)に猪谷発電所(当時2万2,300キロワット)と、3か所の水力発電所が続けざまに運転を開始した。3社の事業分担であるが、発電所の建設を三井鉱山が行い、完成後に神岡水電へ譲渡。発生した電力は三井鉱山が使用し、その余りを大同電力が引き取って大都市圏に供給する、というものであった〔『北陸地方電気事業百年史』149、150ページ。現在の最大出力は跡津発電所が1万1,850キロワット、中山発電所は1,100キロワット、猪谷発電所が2万2,900キロワットである(「水力発電所データベース 」2012年12月26日閲覧)。〕。その後、1939年(昭和14年)になって日本発送電が設立されると、1941年(昭和16年)、神岡水電は中山発電所・猪谷発電所を日本発送電に出資〔『北陸地方電気事業百年史』862ページ。〕。1942年(昭和17年)、猪谷発電所の上流において、日本発送電の委託のもと進めていた浅井田ダム・東町発電所・牧発電所の建設を終えると、跡津発電所を三井鉱山に譲渡し、解散した〔『北陸地方電気事業百年史』408、863ページ。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新猪谷ダム」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shin'inotani Dam 」があります。 スポンサード リンク
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