|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 新 : [しん] 1. (n,n-suf,pref) new ・ 新田 : [しんでん] 【名詞】 1. a new rice field ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 原 : [はら, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 古 : [ふる] 【名詞】 1. used 2. secondhand ・ 古墳 : [こふん] 【名詞】 1. ancient (mound) tomb
新田原古墳群(にゅうたばるこふんぐん)は、宮崎県児湯郡新富町新田と西都市右松にある4つの古墳群の総称である。 == 概要 == 一ツ瀬川左岸にある新田原台地(海抜約70m)に円墳、前方後円墳、方墳など大小あわせて207基〔国指定史跡 新田原古墳群 保存管理計画策定書 (1990年 新富町教育委員会)〕が確認されている。1944年(昭和19年)11月13日に国の史跡に指定された〔昭和19年11月13日文部省告示第1080号(参照:)〕〔新田原古墳群(文化遺産オンライン) 〕。 「新田原古墳群」という名称は、国による史跡指定時に旧新田村(現在の新富町)にあった古墳を行政単位で指定措置した結果であるが、2010年(平成22年)現在は、古墳の分布状況や築造時期から4つの古墳群に大別すべきと考えられており、東から塚原古墳群、石船古墳群、山之坊古墳群、祇園原古墳群と呼ばれている〔国指定史跡「新田原古墳群」史跡整備にともなう発掘調査概要報告書(13) (2010年3月 新富町教育委員会)〕。 祇園原古墳群は、円墳138基、前方後円墳14基、方墳1基、墳形不明1基の合計154基が確認されている〔。石船古墳群の一部(第42~45号墳)は、1941年(昭和16年)の陸軍飛行場(現在の航空自衛隊新田原基地)建設に伴い、大師山公園に移転(縮尺を5分の1にして改葬)した〔。 1824年(文政7年)8月、天領右松村(現在の西都市)の「佐土原領入田村境界同意書」付図の中に入田村(旧新田村、現在の新富町)と右松村の境界に「セタヲ塚」を確認しており、前方後円墳の前方部分が西都市、後円部が新富町として、当時の境界が現在にも継承されている〔。 新田原古墳群は新富町が管理し、新富町教育委員会によって発掘調査が行われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新田原古墳群」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|