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新田均 : ミニ英和和英辞書
新田均[にった ひとし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しん]
  1. (n,n-suf,pref) new 
新田 : [しんでん]
 【名詞】 1. a new rice field 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

新田均 : ウィキペディア日本語版
新田均[にった ひとし]
新田 均(にった ひとし、1958年6月19日 - )は、日本神道学者・歴史学者皇學館大学現代日本社会学部教授。専門は日本近代政教関係史。
== 略歴 ==

* 1958年、長野県において営林署職員のと、精肉店の娘のの間に生まれる。
*1977年、長野県長野高等学校卒業。
*1982年、早稲田大学政治経済学部卒業。
*1988年、 早稲田大学大学院政治学研究科博士課程満期中退。皇學館大学神道研究所助手。学部学生時代から小林昭三に師事。憲法学専攻新しい歴史教科書をつくる会の第3代目会長であった八木秀次高崎経済大学教授)はゼミの後輩にあたる。
* 大学では早稲田文化新聞に所属、民族派学生組織にも関係した。大学院時代は、原書房の高校日本史教科書『新編日本史』の編集を手伝った〔「私の写真館」『正論』2004年10月〕。
* 1998年、「比較憲法学会・田上穣治賞」を受賞。
* 1998年5月、「近代政教関係の基礎的研究」により國學院大學より博士(神道学)の学位を取得。
*1999年7月、雑誌『正論』〔「イデオロギーに陥った立花隆」〕で、立花隆が『文芸春秋』に書いた「天皇『神格化』への道」〔「私の東大論」1999年6月号〕を批判。
*1999年10月、同僚の松浦光修とともに、三重県教職員組合の勤務時間中の不正な組合活動を批判する言論活動を開始。結果的に約10億円の給与返還が実現。
*2000年8月、山折哲雄が『中央公論』に執筆した「森喜朗首相に与う 『鎮守の森』は泣いている」を『諸君!』〔「『中央公論』七月号論文・山折哲雄氏に異議あり〕で批判。山折との間で、『中央公論』〔「それでも『鎮守の森は泣いている』2000年10月号〕と『諸君!』〔『中央公論』十月号『山折哲雄論文』にモノ申す」2000年11月号〕を舞台に論争となる。
*2003年4月、『正論』で梅原猛の「教育勅語」をめぐる言説〔「朝日新聞」2002年11月17日〕を批判〔「梅原猛氏の『日本学』に異議あり!」〕。
*2004年1月、大学入試センター試験で、第二次世界大戦中に朝鮮人への強制連行があったことを「正解」とする問題が出されたことに対して、皇學館大学の事務局を通じて入試センター宛に質問状を提出。
* 2005年の暮れに、新しい歴史教科書をつくる会の運営を巡り、創設者西尾幹二を批判。このことが西尾の同会離脱へとつながり、2006年4月、同会は内紛の末、八木秀次を同会会長から解任。八木解任に伴い、新しい歴史教科書をつくる会の理事を辞任。
*2006年2月、田中卓が『諸君!』に発表した女系容認論〔「寬仁親王殿下へー歴史学の泰斗からの諫言・女系天皇で問題ありません」2006年3月号〕を批判〔「師・田中卓氏への諫言・女系天皇はなりません」〕。田中との間で論争となる〔田中卓「新田均氏への返書・“女系天皇”の是非は君子の論争でー」『諸君!』2006年5月号。新田均「まさしく『女系天皇論』は“君子の論争”で」『神社新報社』2002年4月24日〕。
*2006年4月ー7月 新しい歴史教科書をつくる会の分裂の内幕を描いたブログ「つくる会の体質を正す会」(通称「新田ブログ」)を主催。
*2006年10月、八木秀次らと日本教育再生機構を立ち上げた。現在は同会の理事。
*2008年5月、『正論』で原武史の皇室論〔「皇太子一家『新しい神話づくり』の始まりー宮中祭祀の廃止も検討すべき時がきた」『月刊現代』2008年5月号〕を批判〔「皇太子ご夫妻の苦悩に託けた“暴論”を糺す・『21世紀の皇室』のためにという詭弁」〕。
*2008年8月、西尾幹二の皇太子・同妃批判を批判(『正論』)〔「皇太子さまへの『御忠言』の前に考える・君と臣の分限について」〕。
*2010年4月、皇位継承問題をめぐって、女系容認論者の小林よしのりと論争を展開。隔週刊行雑誌(『サピオ』、小林)と衛星放送(「日本文化チャンネル桜」、新田)という異質な媒体による論争が話題となる。
*2011年1月、小林よしのりとの論争をまとめた「墜ちたゴーマニズムー小林よしのり氏の皇統論を糺す」を『別冊正論』Extra.14に発表。
*2011年3月、検定合格した中学校社会科用教科書『新しい日本の歴史』『新しいみんなの公民』(育鵬社)に著作関係者として名を連ねる。
*2012年6月、『わしズム』30号(2012年3月)に掲載された田中卓の女系天皇論〔「女系天皇公認の歴史的正統性ー『皇室典範』より遥かに思い天照大神の『神勅』に還ろう」〕を再び批判〔「女系天皇容認で自説を裏切った『古代史の泰斗』」〕。
*2012年11月、「ジョン・ブリーン著『儀礼と権力ー天皇の明治維新』を吟味するー「語り」によって隠されたものは何かー」を『明治聖徳記念学会紀要』に発表して、国際日本文化研究センター海外研究交流室教授のジョン・ブリーンを批判。同紀要には英訳の「A Critique of Girei to Kenryoku:Tenno no Meiji Ishin(Ritual and Power:The Emperor's Meiji Restoration)by John Breen-What ❝Narative❞Conceala」も同時に掲載された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「新田均」の詳細全文を読む




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