翻訳と辞書
Words near each other
・ 新田城
・ 新田基氏
・ 新田堰
・ 新田塚
・ 新田塚駅
・ 新田大介
・ 新田大作
・ 新田太田バイパス
・ 新田孝彦
・ 新田守男
新田宗則
・ 新田官軍
・ 新田宣夫
・ 新田宮流
・ 新田家
・ 新田宿
・ 新田小中学校
・ 新田小太郎
・ 新田小学校
・ 新田川


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

新田宗則 : ミニ英和和英辞書
新田宗則[しんでん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しん]
  1. (n,n-suf,pref) new 
新田 : [しんでん]
 【名詞】 1. a new rice field 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

新田宗則 ( リダイレクト:冨茂昌 ) : ウィキペディア日本語版
冨茂昌[ふ もしょう]
冨 茂昌(ふ もしょう、1643年(崇禎16年) - ?)は琉球王国士族。大和名は新田親方宗則。1670年、耳目官進貢船長官)として清に朝貢、清朝との交易許可を得る〔沖縄門中大辞典、那覇出版社 278頁〕。物奉行、表十五人などを歴任。
==人物概要 ==
第二尚氏王朝の第三代国王尚真の四男尚龍徳・越来王子朝福の曾孫〔向氏屋良門中世系図、系図編集委員会〕。尚豊王の三従兄弟にあたり、その夫人・眞南風按司の養子となった。
冨茂昌は生前使用していた唐名である。氏名と名乗り頭が決められたのは1691年であるため、名乗りである宗則(朝則)は晩年、ないしは死後につけられたものであったと推測される。呉姓としての唐名は伝わっていない。
宴席で同席者を楽しませる才があり、国王にも好かれ、琉球に禁酒令がでた際(尚質王代の質素倹約令か)も新田親方の首里邸宅(新田殿内)では泡盛所有が認められていたという逸話が残る。
子孫に琉球演劇沖縄芝居(大伸座)の仲地宗寛(新田親方から数えて九代目当主)などがいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「冨茂昌」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.