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新田官軍(にったかんぐん)とは、上州新田氏の流れを汲むとされる交代寄合岩松俊純が尊皇・倒幕を旗印に慶応4年に結成した組織〔幕末から学ぶ現在1/3 東大教授・山内昌之 岩松満次郎(上) MSN産経ニュース〕。新田勤王党〔「岩松氏その後 」太田市〕、新田勤皇党とも称した。 == 概要 == 新田郡下田島村を所領とする岩松家は、120石と微禄の旗本にもかかわらず交代寄合という大名並みの家格であった〔。ネズミよけの猫絵やまじない札を頒布し「猫絵の殿様」として知られていた〔落合(2003)〕。文久3年、俊純は師である桃井可堂から攘夷の挙兵ならびに横浜の外国人襲撃計画を持ちかけられる。俊純は当初当惑したものの、なんとか56人を集め、慶応4年3月12日新田官軍を結成する〔幕末から学ぶ現在3/3 東大教授・山内昌之 岩松満次郎(上) MSN産経ニュース〕。新田官軍の同志は東山道総督府に従軍嘆願書を提出、それが容れられると、まず領内で発生した世直し一揆を鎮圧。江戸に上るが、隊員の素性の悪さなどもあって謹慎扱いとなり、一度は下田島村に帰還する。その後総督府に復帰を願い入れ、江戸にて築地鉄砲洲、木挽町の市中取締を命ぜられ、幕末に至る〔幕末から学ぶ現在3/3 東大教授・山内昌之 岩松満次郎(下) MSN産経ニュース〕。 後年、新田家の嫡流と認められた岩松家は、明治政府より官軍として勤王倒幕活動を行った功により男爵を授かる〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新田官軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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