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新花月(しんかげつ)は、かつて大阪府大阪市浪速区の歓楽街「新世界」のジャンジャン町(南陽通り商店街)にあった劇場。主に松竹芸能系の若手の登竜門的な存在の場であったが、現在は吉本興業など他のプロダクションに所属するベテラン芸人の中にも、初舞台を踏んだ者は少なくない。 == 概要 == 「温泉劇場」(通称「温劇」)に併設していた演芸場。当初「温泉演芸場」の名で開場。当初の経営者は矢野興行部。新生プロダクション〔元戎橋松竹支配人で、1954年に千土地興行(後の日本ドリーム観光)を退社した勝忠男が立ち上げた芸能プロダクション。松竹芸能の前身会社の一つ。〕が芸人を配給していたが、1957年6月に漫談家の花月亭九里丸が古巣の吉本興業会長・林正之助に掛け合って「新花月」の名に改名させた。 このため、新花月と名乗ってはいたが、芸人の配給や番組編成は新生プロ(のち合併して松竹新演芸から松竹芸能)が行っていた。当初は花月亭九里丸を中心に浮世亭歌楽・ミナミサザエ、浮世亭夢丸・吾妻ひな子、芦乃家雁玉・林田十郎・秋山右楽・左楽、かしまし娘等が出演していたが、1958年5月に道頓堀角座が開場すると看板芸人、ベテランは角座に出演するようになった〔松竹では角座を「日本一の・寄席の・角座」と謳っており、出演芸人も中田ダイマル・ラケットやかしまし娘、夢路いとし・喜味こいし、海原お浜・小浜、笑福亭松鶴、桂春団治、桂米朝など一流どころを揃えていた。〕。 新世界といった立地条件から客層が悪いことで知られ、罵声や野次が耐えなかった。このためこの劇場の客は大阪一厳しい客といわれ、ゆえに松竹芸能はこの小屋を角座や神戸松竹座に出演する芸人達の養成施設と捉えた。したがってプログラムも若手中心となり〔若手以外でも、佐賀家喜昇など角座や神戸松竹座に出ない芸人が出演した。また、角座の看板芸人であった桂春団治も定期的に出演していた。〕、後年松竹芸能の看板となった芸人の殆どは新人時代この小屋に出演し、鍛えられていた。また現在活躍する松竹所属以外の芸人の中にも、ここで修行を積んだ者は多い。 なお年に数回女流大会が行なわれていた。 1968年に火事で一部消失。1981年に一度閉館。1987年に再開場するも1988年9月に完全閉館となった。演芸興行の客入りは悪かったが、週末に行った「演歌祭り」が好評で、これがのちの通天閣歌謡劇場、通天閣劇場TENGEKIに繋がった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新花月」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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