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『新葉和歌集』(しんようわかしゅう)は、南北朝時代に成立した准勅撰和歌集〔有馬俊一は、中世における「准」「なぞらふ」という語の用例を検討した上で、当時これらの語には「一環に組み入れる」ことを意味する用法があった点を指摘して、『新葉集』が真正の勅撰集として成立したものであると主張している(有馬 「『准勅撰』概念の定立をめぐって」 『和歌文学研究』第57号 和歌文学会、1988年12月)。〕。撰者は宗良親王。弘和元年/永徳元年(1381年)12月3日奏覧。新葉集とも。 == 成立 == 南朝では二条派を信奉する天皇の下、『内裏三百六十首歌』・『三百番歌合』などが催されて歌壇は活発であったものの、北朝の勅撰集(『風雅和歌集』・『新千載和歌集』・『新拾遺和歌集』)には、南朝の君臣による詠歌が一切撰入されなかった。宗良親王がこのことを嘆き、南朝の和歌集を撰述せんと企図したのがこの『新葉和歌集』である。仮名序や巻末の綸旨によれば、もともとは親王が自身の老いの心を慰めるための私撰集に過ぎなかったが、これを知った長慶天皇から勅撰に准ずる旨の綸旨が弘和元年(1381年)10月13日付で下されたため、親王はそれまでの内容を改訂して勅撰集に相応しい形に整え、同年12月3日奏覧に供したものである〔仮名序には、「そもそもかくてえらびあつむる事も、ただこころのうちのわづかなることわざなれば、あめのしたひろきもてあそびものとならむ事は、 おもひもよるべきにもあらぬを、はからざるに、いま勅撰になぞらふべきよしみことのりをかうむりて、老いのさいはひのぞみにこえ、 よろこびのなみだ、袂にあまれり。これによりて、ところどころあらためなほして、弘和元年十二月三日これを奏す」とある。〕。 撰集がいつ開始されたかは明らかでないが、親王が信濃大河原から吉野入りした文中3年/応安7年(1374年)冬が目安となる。翌天授元年/永和元年(1375年)には『五十番歌合』や『五百番歌合』が、天授2年/永和2年(1376年)にも『百番歌合』や『千首和歌(天授千首)』が催されるなど、この頃の南朝歌壇の活況は撰集計画と表裏一体をなすものであろう。天授3年/永和3年(1377年)7月に親王は嘉喜門院に対して詠歌の提出を要請しているが、当時すでに撰集作業が進行中で、諸方に資料を求めていたことが知られる。同年冬に親王が再度信濃へ下向した後は、花山院長親などが撰集の実務に当たったらしい。天授6年/康暦2年(1380年)親王は河内山田(大阪府太子町か)に庵居して撰集に精力を注ぎ、翌弘和元年/永徳元年(1381年)の成稿に漕ぎ着けた。ここに親王の悲願が形となって達せられたと言えるだろう。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新葉和歌集」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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