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新藤 享弘(しんどう たかひろ、1932年(昭和7年)9月3日 -)は、日本の政治家。元大宮市長。中央大学商学部卒業。埼玉県北足立郡大宮町(現:さいたま市大宮区)出身。父は元埼玉県議会議長を務めた新藤元吉。 == 略歴 == 大宮市の助役、市長を務めていた1980年代から90年代にかけては、JR東日本、ルミネ等と協力し大宮駅の利便性向上に貢献した。まんが「大宮の歴史」〔まんが 大宮の歴史 〕などの書籍を刊行し大宮市のPRと活性化に尽力。また同市は財政の緊縮を進め、地方交付税不交付団体となった〔当時埼玉県内で不交付団体であったのは、大宮市と戸田市、和光市のみ。ただし戸田市は競艇による税収が大半を占めており、大宮市は競輪による税収も多少はあったものの、純粋な経済活動のみで税収が潤っていたのは、同市と和光市だけである。その中でも、人口40万人クラスの自治体でありながら、地方交付税なしで発展を続けた大宮市は、都市財政のモデルケースとなっていた。〕。2001年に大宮市が消滅し、市長選にも敗北したことから政界引退した。 * 1932年(昭和7年)9月 - 北足立郡大宮町に生まれる。 * 1951年(昭和26年)3月 - 埼玉県立浦和高等学校卒業。 * 1956年(昭和31年)3月 - 中央大学商学部卒業、大宮市役所入職。 * 1978年(昭和53年)4月 - 企画、広報の課長を経て秘書課長に就任。テレビ広報の導入など市民広報の充実を進める。 * 1985年(昭和60年)3月 - 秘書企画室長に就任。東北・上越新幹線の開業による大宮ソニックシティなどの再開発事業を推進。 * 1988年(昭和63年)7月 - 大宮市助役に就任。 * 1990年(平成2年)8月 - 大宮市長馬橋隆二の後継指名を受け、大宮市長選挙に立候補し初当選、第16代大宮市長に就任。以来さいたま市発足までの3期11年、市長を務める。 * 1999年(平成11年)3月 - 大宮原子炉跡地放射性廃棄物汚染が発覚し以後問題解決に向けた話し合いが市議会でも行われる。 * 2001年(平成13年)5月 - さいたま市長選挙に立候補し落選。政界を引退する。 * 2003年(平成15年)4月 - さいたま市より「さいたま市名誉市民」として顕彰される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新藤享弘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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