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新袖ヶ浦線(しんそでがうらせん)とは、東京電力が建設した基幹系統の一つである。50万V送電線として設計・運転されている。袖ヶ浦火力発電所で発電した電力を送電し、首都圏を取り巻く大外輪線の東側に位置している。 == 概要 == 大外輪線網は袖ヶ浦火力発電所から東富士変電所(現:新富士変電所)までの約430kmに及び、当線はその一部である〔「大外輪線網 55年度に完成 東電の50万V幹線」『電気新聞』1973年1月17日2面〕。 当線の基本調査は1970年2月に開始された。その後、基本ルート、電気設計、鉄塔基礎設計などを実施してきた〔。この過程で従来多く採用されていた27万5000V送電ではなく50万V送電を選択し、1972年3月には当時同様に計画中だった福島東幹線などと同時に、導体仕様を従来50万V送電で採用してきたACSR410mm4導体方式に代えてTACSR610mm4導体方式とし、送電容量を660万kWに倍増した〔「50万V幹線に全面採用 東電が方針TACSR4導体 大容量化・用地対策に威力」『電気新聞』1972年3月11日2面〕。 また、従来50万V送電で採用されていた二段階昇圧方式(沿岸から10km程度内陸までは27万5000Vの送電区間を挟む案)は送電効率の問題から避けられ、1972年8月には、臨海直接昇圧とする旨を決定したことが明らかにされた〔「直接昇圧に決定 東電・袖ヶ浦50万V送電」『電気新聞』1972年8月3日1面〕。これに伴い、終点の新佐原開閉所(当時)に50万V-27万5000V、100万kVAの変圧器を設置して新佐原変電所に衣替えすることも決められた。1973年4月19日には通産省の認可を取得し、工事を着工。東京電力は工事管理事務所1ヶ所、地区工事事務所2ヶ所、他用地関係事務所等を配置した〔「東電・50万V新袖ヶ浦線 今月下旬に運開」『電気新聞』1974年4月12日2面〕。 工事を請け負った業者は12社で、『電気新聞』には第一工区が関電工であることが明らかにされている〔。 1974年4月には建設工事も最終段階となり、連日社内検査を実施している状況であった〔「50万V新袖ヶ浦線 今月下旬に運開」『電気新聞』1974年4月26日6面〕。 上記の目的から、当線の運転開始は袖ヶ浦火力発電所1号機の建設と連動したものであった〔。 1974年4月末には関係者待望の50万V昇圧が実施され仮合格した〔「進む「50万V基幹送電網」拡充 東電 近く新古河線も昇圧 里側外輪線形成期迎える」『電気新聞』1974年6月12日2面〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新袖ヶ浦線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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