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方 振武(ほう しんぶ)は、中華民国の軍人。孫文(孫中山)配下の革命派人士。後に国民軍、国民革命軍(国民政府)に属して北伐などに参加した。また、察哈爾民衆抗日同盟軍の幹部としても知られる。字は叔平。 == 事跡 == === 国民軍への参加 === 安徽武備練軍学堂を卒業し、安徽新軍に入隊する。1911年(宣統3年)の辛亥革命では、上海光復軍に参加した。 1912年(民国元年)、南京臨時政府第1軍北伐前哨司令に任じられている。しかし1913年(民国2年)の二次革命(第二革命)で敗北して日本に亡命し、浩然学社に入学した。1914年(民国3年)、中華革命党に加入する。民国7年(1918年)より、孫文が発動した護法戦争に参加した。しかし、1921年(民国10年)にいったん引退して上海に引きこもる。 1925年(民国14年)、北京政府側の張宗昌率いる直魯聯軍に投じ、第24師師長に昇進する。しかし、1926年(民国15年)1月、直魯聯軍からの離脱を宣言し、馮玉祥率いる国民軍に転じた。国民軍では第5軍軍長に任じられている。同年9月の五原誓師とともに国民聯軍第2軍軍長等に任じられ、さらに中国国民党国民聯軍最高特別党部執行委員も兼任した。 1927年(民国16年)6月、国民革命軍第2集団軍第3方面軍総指揮兼河南省政府委員に任じられ、武漢国民政府に属して第9方面軍総指揮となる。以後、国民革命軍第11路総指揮、第1集団軍第4軍団総指揮、済南衛戌司令、左路軍総指揮などを歴任して、北伐に従軍した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「方振武」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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