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方 西園(ほう せいえん、乾隆元年(1736年) - 卒年不詳〔『暢春楼展覧』凡例に「如巨川、晴湖、其人見存」との記述があり、寛政5年(1793年)の生存が確認できる。〕)は清の商人・画家。江戸時代中期、日本に渡来し画技を伝える。 名は濟、字は巨濟・巨川、西園と号した。安徽省旌徳県の生まれ〔江蘇新安・福建省とも〕。 == 略伝 == 周西山を画の師とし、花卉図・翎毛鳥獣図・山水図などの水墨を得意とした。初来日は明和元年(1764年)とも安永元年(1772年)ともいう。安永3年(1774年)の来日記録ははっきりしている。安永9年(1780年)、45歳の時、元順号の副船主として渡海したが5月2日に房総沖で難破し安房国朝夷郡千倉に漂着。乗組員78名は全員無事だったが岩槻藩の唐人への待遇が悪く問題となった〔『漂客紀事』〕。このとき杜澂が華音(中国語)に堪能であることから請われて通司を務めている。 日本船にて長崎に移送される途中、富士山を実見。西園は「目睹して実に大観なり」〔『遊房筆語』〕と感激して絵筆を走らせたという。このほかにも日本各地を写生。後に谷文晁により「漂客奇賞図」として模刻される。その遠近法が当時大いに注目される。 伊東藍田や真村廬江、東東洋が画の教えを受け、谷文晁や渡辺崋山らも大きく影響を受けている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「方西園」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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