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施耐庵[したいあん]
施耐庵(したいあん)は、中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の作者であるとされる人物。 生没年は1296年~1371年というが、疑わしい。 明のころの人と思われるが、水滸伝の作者として名が見えるのみであるため、何者であるのか、実在したのかさえもよくわからないが、一応『興化県続志』に施耐庵伝と明初の王道生『施耐庵墓志』が掲載されている。『七修類稿』、『百川書志』等は銭塘の人としている。
==実在説== 王道生『施耐庵墓志』によれば、施耐庵は本名施彦端、号は子安もしくは耐庵といった。淮安の人で、元の至順二年(1331年)、進士となり官途についたが、至正十三年(1353年)に元末の反乱軍の首領・張士誠に見込まれて参謀となった。施耐庵は参謀として沢山の策略を上申したが、張の勢力が拡大すると、張がおごりたかぶって人の言うことを聞かなくなってしまった。そのため、官を棄てて郷里に帰り、医師や教師をしていた。張が滅亡した後、明を建国した朱元璋が張の残党を厳しく追求したため、施耐庵は隠居。『水滸伝』の元となった『江湖豪客伝』や『三国志演義』、『平妖伝』などを執筆し、門人の羅貫中に校正させていたという。一説に『三国志演義』の著者が施耐庵とされるのは、この「墓誌」による。百度百科「施耐庵」の項による
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「施耐庵」の詳細全文を読む
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