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施肇基 : ウィキペディア日本語版
施肇基[し じょうき または し ちょうき]

施 肇基(し じょうき または し ちょうき)は、清末中華民国の外交官・政治家。北京政府国民政府において駐米公使、駐英公使等をつとめた中華民国を代表する外交官の1人である。植之。祖籍は浙江省杭州府銭塘県。なお、英語名のAlfred Sao-ke Szeとしても知られる。
== 事績 ==

=== 清末の活動 ===
父は挙人で、絹の輸出により富裕な家庭であった。施肇基は、1886年光緒12年)に南京の江寧府同文館で英文を学ぶ。翌年から上海の聖ヨハネ学院(後の聖ヨハネ大学)で3年間学んだ。1890年(光緒26年)、国文学院に入学している。
1893年(光緒19年)、駐米公使楊儒に随従して渡米し、翻訳生をつとめた。1897年(光緒23年)、コーネル大学で研究に従事している。1899年(光緒25年)、楊儒が駐露公使に転じたことに伴い、施もこれに随従している。その後、再びコーネル大学に戻り、文学修士号を取得した。
1902年(光緒28年)に帰国して、施肇基は湖広総督衙門洋務文案兼留美(米)学生監督となる。後に幣制局督弁となった。1905年(光緒31年)、端方ら五大臣が憲政考察のために外国視察に赴いた際に、施はこれに随従して一等参賛官に任じられた。なお、この直前に、唐紹儀の姪である唐玉華と結婚している。帰国後、施は法政科最優等の進士となった。
1907年(光緒33年)、京奉鉄路局会弁に任じられる。翌年には、吉林西北路兵備道兼濱江関監督、吉林林業局監督に異動した。1909年宣統元年)、吉林交渉使に昇進し、対外事務を主管した。なお同年10月26日に、ハルビン伊藤博文暗殺事件が発生したため、施がその事後処理を担当している。
翌年、北京に戻って外務部右丞に任じられ、1911年(宣統3年)、外務部左丞に異動した。同年10月、アメリカ等公使に任命されて出国準備を進めていたが、辛亥革命のために中止した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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