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日仏関係(にちふつかんけい、仏:Relations franco-japonaises)では、日本とフランスの関係について概説する。 日仏関係の歴史は17世紀初頭にまで遡ることができ、スペインから海路ローマに向かっていた日本の慶長遣欧使節が1615年に南フランスに上陸したことに始まる。 およそ2世紀にわたる鎖国政策が解かれ、両国は19世紀後半以降、軍事、経済、法律、芸術分野において重要な関係を築いていった。江戸幕府はジュール・ブリュネら軍事顧問団を通じて軍備の近代化を進め、明治政府も陸軍兵制にフランス式を導入した。またその後も日本はさまざまな分野、とくにルイ=エミール・ベルタンは大日本帝国海軍の創設期において造船産業の発展に寄与し、また法令の整備などについてもギュスターヴ・エミール・ボアソナードなどフランスの支援を受けていた。 フランスは近代芸術において日本の美術、すなわちジャポニスムに感化されている点があり、また印象派などに影響を与えた。またフランスで繁栄した絹織物産業は日本の支援を受けていた。 == 日仏関係史 == === 18世紀以前 === * 1615年 - 仙台藩の伊達政宗がローマに派遣した慶長遣欧使節の支倉常長がサントロペに上陸、このできごとがフランスと日本の初めての接触とされる。 * 1619年 - フランスのユグノーの家に生まれたフランソワ・カロンがオランダ東インド会社社員として日本に着任。フランス出身の人物が日本を訪れたのはこれが最初である。カロンは20年間日本に滞在し商館長にまで出世し、帰国後の1664年にフランス東インド会社の設立時の社長となる。カロンは日本との交易も計画したが、これは実現しなかった〔日本は鎖国中でありカソリック国との交流は禁じられていたが、当時のフランス経済とくに海上交易においては、プロテスタントに分類されるユグノーの役割が大きかった(ユグノー#ユグノーとフランス経済史)。〕。 * 1636年 - フランス・ドミニコ会の宣教師が日本に上陸する。クルテは江戸幕府が発した1613年の禁教令に反し、秘密裏に布教活動を行っていた。その後拘束、拷問を受け、1637年9月29日に薩摩藩の鹿児島で死亡した。 * 1640年から1780年までフランス人が日本を訪れたという記録は残っていない。 * 1787年 - ラ・ペルーズが日本の海域を航海する。ラ・ペルーズは琉球を訪れ、また北海道とサハリンの間にある海峡にその名がつけられた(宗谷海峡のこと。国際的な正式名称はラ・ペルーズ海峡である)。 * 1794年 - 1789年開始のフランス革命に関する情報が、長崎・出島のオランダ商館が提出したオランダ風説書によって徳川幕府に伝えられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日仏関係」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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