|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 日 : [にち, ひ] 1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day ・ 日印 : [にちいん] 【名詞】 1. Japan and India 2. Japanese-Indian ・ 印 : [しるし, いん] 【名詞】 1. (1) mark 2. (2) symbol 3. (3) evidence ・ 協 : [きょう] 1. (n-suf,n-pref) cooperation ・ 協会 : [きょうかい] 【名詞】 1. association 2. society 3. organization 4. organisation ・ 会 : [かい] 1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club
公益財団法人 日印協会(にちいんきょうかい、 THE JAPAN-INDIA ASSOCIATION)は、1903年(明治36年)に日本とインドの親善や相互の文化交流をはかる等を目的として、大隈重信らが設立した団体。 == 歴史 == 1903年(明治36年)、大隈重信や長岡護美が対印貿易の重要性を認識していた澁澤榮一の後押しを得て設立する〔。設立当時、インドはイギリスの植民地であり、インド総督(副王 とも)が統治するイギリス領インド帝国 () であった。明治の近代化を推し進めた先駆者らは、アジアの時代の到来に向けて、アジア諸国のなかでもとくにインドとの通商を重要視していた。藤井毅は、当時英国の植民地であるインドとの日印関係とは、つまりは日英関係のことを指すと指摘している。つまり、大隈や渋沢が意図したのも、英国のインド支配を前提とした関係であった〔。当時、日本人側は岡倉天心や横山大観、インド側ではラビンドラナート・タゴールらが、とくに、日印の文化交流を深めていた〔。1939年(昭和14年)5月、日本政府より財団法人として認定される。 1941年(昭和16年)年8月28日に、陸軍参謀本部の山内豊秋から、10月末締め切りでビルマやインド地方の情勢調査の依頼があり、「インド方面の地形・資源・産業等を大判でカラー印刷も加えて200頁あまりの資料集」を提出した記録がある〔三角佐一郎「日印協会と歩んだ 65 年」「月刊インド 財団法人日印協会創立 100 周年記念特集号」 p. 18 2003.11〕。 第二次世界大戦中、インド独立運動に協力したとして、戦後はGHQにより協会活動を禁止されるが、1947年、英国からのインド独立とともに日印経済協会の名称で会を復活させ、官民の窓口として日印関係改善に協力する。1952年には、日銀総裁一万田尚登が会長に就任して再び財団法人日印協会となった。 1977年には櫻内義雄が会長に就任。2002年12月、森喜朗が会長に就任する。2003年11月には、協会創立100周年を迎え、記念行事が執り行われた。2007年6月に初めて理事長職を設け、初代理事長には平林博が就任する。2010年11月、内閣総理大臣より公益財団法人の認定を受ける。 2015年3月30日に、顧問の三角佐一郎がインドのために卓越した働きをした人に贈られる「パドマ勲章」をインド政府から受けた。〔三角は第二次大戦前の1937年から日印協会で働き、戦時中には旧日本軍の要請でインド情報の収集のため旧ビルマ(現ミャンマー)に派遣され、印北東部インパールも訪れた。専務理事や副会長などを経て、2007年に顧問に就任。独立運動家のチャンドラ・ボースや歴代印首相とも親交があり、モディ首相が2014年に訪日した際には、モディ氏と固く抱擁した。〕〔インドのパドマ勲章に日印協会顧問の三角さん、歴代首相と親交…戦前はインパール派遣 産経新聞(2015.3.31)web魚拓 〕 月刊機関誌『月刊インド』を100年以上継続して発行している。会員になると、月刊誌『月刊インド』の無償配布とホームページ上での自由な閲覧、季刊誌「現代インド・フォーラム」のホームページ上での自由な閲覧が提供される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日印協会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|