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日向氏(ひなたし)は、甲斐国巨摩郡村山郷(山梨県北杜市)を本拠とした在地勢力。戦国時代には国人領主で、甲斐武田氏の家臣団に加わる。 == 日向氏の出自 == 日向氏に関する初見史料は『遊行二十四祖御修行記』で、永正17年(1520年)8月29日に、日向図書助が兄弟とともに、時宗の24代遊行上人の不外を信濃国まで迎えたと言われ、不外は8月15日時点で信濃伴野荘野沢(長野県佐久市)に居ることから、日向図書助は同地まで迎えたと考えられている〔時宗は宗祖一遍が伴野荘において踊念仏を開始しており、開祖由縁の地として歴代遊行上人の巡錫地となっている。〕。伴野から甲斐国へ至る佐久往還は永仁3年(1295年)に二代真教が、文和3年(1354年)には8代渡船が利用しており、日向図書助もこの道筋を利用していたと考えられている〔秋山敬「日向大和守の系譜」『武田氏研究』(第25号、2002年、のち『甲斐武田氏と国人』(高志書院、2003)に収録〕。 幕臣日向氏の系譜史料によれば、上杉氏に仕えていた信濃佐久郡の新津氏の子孫が姻戚関係にあったと想定される甲斐の日向氏を頼り、日向姓に改姓したという。 日向図書助との関係は不明だが、戦国期には武田家中において大和守を称する日向一族が確認されている。『甲斐国志』巻九六に拠れば、信虎期から信玄期、勝頼期の武田氏滅亡まで活動が確認される「日向大和守」の存在を記載しているが、現在では『国志』において同一人物とされている信虎期の大和守是吉と信玄・勝頼期の大和守虎頭を別人に比定する見解が一般的となっている〔、秋山(2002)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日向氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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