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日本とアメリカの関係の歴史 : ミニ英和和英辞書
日本とアメリカの関係の歴史[にっぽん, にほん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
日本 : [にっぽん, にほん]
 【名詞】 1. Japan 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [せき, ぜき]
 (suf) honorific added to names of makuuchi and juryo division sumo wrestlers
関係 : [かんけい]
  1. (n,vs) relation 2. connection 
: [かかり]
 【名詞】 1. official 2. duty 3. person in charge 
歴史 : [れきし]
 【名詞】 1. history 

日本とアメリカの関係の歴史 ( リダイレクト:日米関係史 ) : ウィキペディア日本語版
日米関係史[にちべいかんけいし]


日米関係史(にちべいかんけいし :Japanese-American historical relations)では、日本アメリカ合衆国の二国間関係の歴史について述べる。時間軸としては1853年以後となる。
両国は、アメリカの領土の拡大とフロンティア消滅以後、時に強圧的に、時に協力的に歩み現在に至る。

==ペリー以前==
日本とアメリカの外交関係は、1854年の日米和親条約を持って開始されるが、それ以前にも両国の接触はあった。
*1791年(寛政3年)、米国の冒険商人ジョン・ケンドリックが2隻の船と共に紀伊大島に到着、11日間滞在する。日本を訪れた最初の米国人で、生皮の交易を求めたが拒否された。現在、和歌山県串本町の紀伊大島にはこれを記念した日米修交記念館がある。
*1797年(寛政9年)にオランダ東インド会社バタヴィアで傭船契約を結んだアメリカの船の多くは、セイラムから日本に向けて出航した。そして、1799年にオランダ東インド会社が解散してもなお、日米貿易は1808年(文化6年)まで続いた。ただし、その日米貿易は日本とオランダ商館との関係に配慮した特殊なものであった。アメリカ船が長崎に入港する際は、1795年に滅亡したオランダ(ネーデルラント連邦共和国)の国旗を掲げてオランダ船を装うよう、すでに雇い主を失っていたオランダ商館から要請された。日本に向けられたアメリカ船は次の通り〔K. Jack Bauer, A Maritime History of the United States: The Role of America's Seas and Waterways, University of South Carolina Press, 1988., p. 57〕〔東京都江戸東京博物館1999年発行「日米交流のあけぼの‐黒船きたる‐」〕 。
#1797年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のアメリカ船籍イライザ号が、長崎にて貿易。
#1798年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のアメリカ船籍イライザ号が、長崎にて貿易。
#1799年、ジェームズ・デブロー船長のアメリカ船籍フランクリン号が、長崎にて貿易。
#1800年、ウィリアム・V・ハッチングス船長のアメリカ船籍マサチューセッツ号が、長崎にて貿易。
#1800年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のアメリカ船籍エンペラー・オブ・ジャパン号が、長崎にて貿易。
#1801年、ミッシェル・ガードナー・ダービー船長のアメリカ船籍マーガレット号が、長崎にて貿易。
#1802年、ジョージ・スティルス船長のアメリカ船籍サミュエル・スミス号が、長崎にて貿易。
#1803年、ジェームズ・マクニール船長のアメリカ船籍レベッカ号が、長崎にて貿易。
#1803年、ウィリアム・ロバート・スチュアート船長のアメリカ船籍ナガサキ号が、長崎にて貿易。
#1806年、ヘンリー・リーラー船長のアメリカ船籍アメリカ号が、長崎にて貿易。
#1807年、ジョセフ・オカイン船長のアメリカ船籍エクリブス号が、長崎にて交流。
#1807年、ジョン・デビッドソン船長のアメリカ船籍マウント・バーノン号が、マカオにて貿易。
#1809年、ジェームズ・マクニール船長のアメリカ船籍レベッカ号が、マカオにて貿易。
*1830年(天保元年)、日本が領有宣言をしていたものの無人島となっていた小笠原諸島父島ナサニエル・セイヴァリーが上陸、入植〔 Asia Society of Japan, Long lecture .〕。
*1832年(天保3年)、アンドリュー・ジャクソン大統領は、エドマンド・ロバーツ(Edmund Roberts)を特命使節としをアジアに派遣した。その際、「特に日本に関する情報を注意深く収集」し、さらには、「正式な使節は別に送るにしても、状況が許すならば信任状を提出しても良い」とも指示する。
*1835年(天保6年)、ロバーツは清、日本との交渉のために再びアジアに派遣された。この際に東インド艦隊 が結成される。しかしながら、ロバーツは中国で死亡し使命を果たせず。
*1837年(天保8年)、広州在住のアメリカ商人チャールズ・キング(Charles W. King)は、商船モリソン号で音吉を含む漂流民を日本に送り届けるた浦賀に来航したが、異国船打払令に基づき日本側砲台が砲撃した(モリソン号事件)。この事件後、異国船打払令に対する批判が強まる。
*1845年(弘化2年)、捕鯨船マンハッタン号(Manhattan)が、22人の日本人漂流民を救助し、マーケイター・クーパー船長は浦賀への入港を許可され、そこに4日間滞在し、浦賀奉行と対面した。クーパー船長は幕府から感謝され、充分な薪水や食料を与えられ、色々な贈り物も貰って浦賀を後にする。
* 1846年(弘化3年)閏5月 - アメリカ東インド艦隊司令官ジェームズ・ビドルが浦賀に来航し通商を求めたが拒否された。ビドルには、「辛抱強く、敵愾心や米国への不信感を煽ること無く」交渉することが求められていたため、数日の滞在でに浦賀から退去した。
* 1848年(嘉永元年)5月 - アメリカ捕鯨船、西蝦夷地に漂着(難破とも脱走とも)。幕府、乗員を長崎に護送する。
* 1849年(嘉永2年)3月 - 東インド艦隊司令官であるデビッド・ガイシンガーの命令によりジェームス・グリンを艦長とするアメリカ軍艦プレブル号が長崎に来航し、前年に漂着した捕鯨船の船員と、自らの意志で密入国していたラナルド・マクドナルドを受け取り退去する。
* 1849年(嘉永2年)6月 - アメリカ捕鯨船員の3名、樺太島に上陸する。
* 1851年(嘉永4年)1月 - 土佐漁民中濱万次郎ら、アメリカ船に送られて琉球に上陸する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日米関係史」の詳細全文を読む




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