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本項では、日本におけるアルミニウム製錬の歴史について述べる。1934年(昭和9年)に、現在の昭和電工に当たる企業が長野県大町市で日本初のアルミ製錬を開始し、最盛期には自由主義諸国の中ではアメリカ合衆国に次いで2位の生産量を誇ったが〔『アルミニウム製錬史の断片』p3〕、1973年と1979年の、2度に渡るオイルショックによる電力価格高騰を受け急激に衰退し、唯一操業を続けていた静岡市清水区の日本軽金属蒲原製造所も2014年3月末でアルミ製錬から撤退した。 == 第一次世界大戦前後 == 1886年に、アメリカのチャールズ・マーティン・ホールとフランスのポール・エルーがホール・エルー法を発明。1888年には、オーストリアの化学者、が酸化アルミニウム(アルミナ)の製造法であるバイヤー法を発明し、これらが現在においてもアルミニウム製造技術の基礎となっている〔『アルミニウム外史 上巻』p105〕。記録に残るアルミ地金の商業生産は、1890年には年間180トンであったが1898年には5000トンを超え、1906年には15000トンに達した〔『アルミニウム外史 上巻』p8〕。1900年に発行された『アルミニウム世界誌(Aluninium World)』によると、当時の用途は台所用品や装飾品、船舶・航空用品、医療器具、瓶のふたなどであったが、1914年に第一次世界大戦が開戦すると軍用品としての需要が急激に増加した〔『アルミニウム外史 上巻』p11〕。 軍用航空機に使用されるアルミニウムの需要の拡大を見込み、1916年3月に、肝付兼行海軍中将を社長として日本軽銀製造株式会社が設立された。「白粘土からアルミナを製造する方法」の特許を持つ、北海道庁の竹島安太郎技師を迎え入れ、年間にアルミナ400トン、アルミ地金200トンの生産を目標として事業化が行われたが、アルミナ・地金とも純度が低く、1917年5月に閉鎖された。その後、藤田組(のちの同和鉱業の母体)系列の大阪亜鉛鉱業が事業を引き継ぎ、同社の名古屋工場でアルミナを製造。1918年10月に、長野県大町に開設された電解工場で約10トンのアルミ地金が製造されたが、アルミナの品位や電極などの不良により純度が要求された水準に達せず、失敗に終わっている〔『アルミニウム外史 上巻』p101〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本のアルミニウム製錬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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