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竹田 恒泰(たけだ つねやす、1975年(昭和50年)〔 - )は、日本の作家、タレント。皇學館大学現代日本社会学部非常勤講師。専門は憲法学・史学。学位は学士(法学)(慶應義塾大学・1998年)。2013年度まで慶應義塾大学の非常勤講師(憲法学)であった〔竹田恒泰『日本人はいつ日本が好きになったのか』(PHP研究所、2013年) 背表紙著者プロフィール参照。また、本人のTwitterにおけるプロフィールなども参照。〕。 旧皇族の竹田家(旧竹田宮家)に生まれる。北朝第三代崇光天皇の25世子孫であり、明治天皇の玄孫にあたる。竹田恒和は父。 == 略歴 == 1975年生まれ。「氏名と生年月日を共に知られると呪いを掛けられるから」と公式では生月日を非公開ということにしている。竹田宮恒徳王の第三子である日本オリンピック委員会会長竹田恒和の長男。祖父の恒徳王が竹田宮恒久王と明治天皇の第六皇女である常宮昌子内親王の間に生まれていることから、恒泰は明治天皇の玄孫にあたる。 慶應義塾高等学校 (英語会に所属) を経て、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。学部時代の専攻は環境学〔竹の間―プロフィール 〕。 大学時代に世界各地を旅行し、「イエメンでは銃撃戦に巻き込まれながら脱出。中国雲南省で乗ったバスが正面衝突を起こして五人死亡、その事故現場を撮影したら無許可現場撮影ということで公安に身柄を拘束、4時間後に釈放。同じく中国雲南省で軍の演習場だと知らずに野原を散歩していたら軍による集中砲火を受け、命ながら脱出、その後スパイ容疑で人民解放軍に逮捕、手錠と腰ヒモを付けられて厳しい尋問を受けるが、6時間後に冤罪で釈放。バンコックではマフィアに監禁され、スイスでは川の激流にのみ込まれるなどなど」したと主張している〔竹の間―プロフィール 〕。 2006年(平成18年)に著書『語られなかった皇族たちの真実』で山本七平賞を受賞した。皇位継承問題における「女系天皇容認論」に反対を表明した。その後も、皇室や日本史関連の書籍を執筆しており、新聞・テレビ、雑誌等に登場している。 2007年(平成19年)から2014年(平成26年)3月まで慶應義塾大学大学院において非常勤講師として勤務した。大学院では通年の講座「憲法特殊講義(天皇と憲法)」を小林節と共同で担当。のちに、単独で「憲法特殊講義I(公政)」、「憲法特殊講義II(公政)」を半期ずつ担当〔 慶應義塾大学 〕〔「小林節教授最終講義のご案内」 「慶應塾生新聞」 ちなみに小林は全講義を終了し既に退職している。〕して、天皇が日本国の象徴であることを記した日本国憲法第1条を一年間かけて教えた。なお、非常勤講師就任の経緯について、小林は「憲法学について勉強させるために講師にした」と語っている。8年目の契約更改はされず2013年(平成25年度)末をもって退職した。慶應義塾大学はこの件に関するコメントを出しておらず、契約更改がなされなかった理由は不明である。のちに小林は、慶應義塾大学講師の肩書を芸能活動の看板として悪用されたこと、肩書きで私利を図る事について注意しても無視されたこと、私生活でのトラブルの報道で慶應大学講師の肩書が使われると慶應の名が汚されることの3点を挙げ、竹田を講師に招いてこのような状況の原因を作ったことを恥じていると述べた〔二股疑惑 竹田恒泰「皇族の末裔だから側室OK」発言の過去 | 特集 - 週刊文春WEB 〕。2015年(平成27年度)より皇學館大学現代日本学部の非常勤講師(春学期は現代人権論・秋学期は日本国家論)〔竹田恒泰の楚々たる毎日 Powered by Ameba 〕。 2008年(平成20年)12月に論文「天皇は本当に主権者から象徴に転落したのか?」でアパグループ主宰の第2回「真の近現代史観」懸賞論文“最優秀藤誠志賞”を受賞した〔アパグループ第2回「真の近現代史観」懸賞論文募集 〕。 主宰する「竹田研究会」は、北海道・宮城県・東京都・新潟県・富山県・石川県・愛知県・京都府・大阪市・奈良県・兵庫県・岡山県・広島県・山口県・鳥取県・島根県・愛媛県・福岡県で定期的に行われて、憲法・国史・日本神話などを教えている。この研究会には2011年5月時点で3000人が〔『産経新聞』2011年5月18日朝刊(広島版)20面「トピック最前線、爆笑必至の古事記セミナー」〕会員登録している。 2010年代に入ってから、『そこまで言って委員会NP』(旧番組名:『たかじんのそこまで言って委員会』)を始め、テレビ番組などのメディアにも登場している。ほとんどが作家としての出演だが、。近代皇族の研究家である小田部雄次は、2010年に底本が発行された自著において、近年の竹田は芸能界になじみ醜聞が増えたと記している〔小田部雄次 『天皇と宮家 消えた十一宮家と孤立する天皇家』 新人物文庫 [お-12-1] ISBN 978-4046010148、330p〕。2012年(平成24年)10月29日開設の竹田恒泰チャンネルでは、週に一度(特番を除く)新聞を読むニコ生配信を行っている。後には同チャンネル放送の中国、韓国報道に焦点を置いた本『面白いけど笑えない中国の話』や『笑えるほどたちが悪い韓国の話』などが発売された。 2015年(平成27年)4月19日、一般女性との結婚を発表した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹田恒泰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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