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日本のボクサー(にほんのボクサー)は、2009年9月まで、主にミドル級以下の体重別階級を中心に活動してきた。オリンピックボクシング競技では、1960年のローマ大会で銅メダルを獲得した田辺清がフライ級、続いてメダリストとなった桜井孝雄、森岡栄治はいずれもバンタム級であった。プロボクシングでは、白井義男が1952年に日本人として初めて世界王座に挑戦し、世界フライ級王者となった後、続いて世界タイトルマッチに出場したファイティング原田、海老原博幸も同級であり、世界戦の最初の15試合のうち12試合がこの階級であった。 2009年9月、プロボクシングにおいて、スーパーミドル級からクルーザー級までの3階級で日本王座が新設され、日本ヘビー級王座も再設置された。 以下の各節では、日本のボクシング史を彩ったボクサーたちを性別・階級別に概説する。階級ごとの出来事およびその背景を記し、紛らわしい場合を除いて階級名は省略している。 == 男子 == === ミニマム級 === 初代日本王者は小野健治。1993年6月には江口九州男・勝昭の兄弟が日本王座決定戦に出場。日本初の兄弟での王座争いはダウン応酬の熱戦となり、兄が6回KO勝ちで日本王者となっている。 この階級の主力選手は中南米・アジアが中心である〔。1987年に階級が新設されると6月にIBFで世界王者が誕生し、10月に井岡弘樹がWBCの初代王座決定戦に出場、18歳9か月の日本人最年少で同団体の初代王者となった。1990年、高校時代から非凡なボクサーと言われ「150年に一人の天才」のキャッチフレーズでプロデビューした大橋秀行がライトフライ級での2度の世界挑戦失敗の後、階級を下げて世界王者となった。日本が世界戦に21連敗していた時期で、後楽園ホールには「万歳」の歓声が湧き上がった。ロッキー・リンの2度の挑戦失敗の後、2000年に星野敬太郎が初奪取としては最年長記録で世界王座を獲得。また所属ジムの会長・花形進とともに日本初の師弟世界王者ともなった。日本人離れしたハンドスピードと均整のとれた総合力をもって2001年に16戦無敗で挑み、世界王座を獲得した新井田豊は、2か月後には引退を発表したが、2003年に復帰〔。2004年には世界王座に復帰し、7度防衛した。ウルフ時光は1998年に日本初の東洋太平洋王者となったが世界挑戦は2度失敗(うち1度は暫定王座挑戦)。時光が敵わなかったホセ・アントニオ・アギーレを破って世界王者となったのがイーグル赤倉(後のイーグル・デーン・ジュンラパン)であった〔。 高山勝成は2005年にWBC、2006年にもWBA(暫定)王座をそれぞれ獲得、2013年にはJBCが加盟する直前だったIBF王座をメキシコで奪取し、そして2014年大晦日にはWBO王座も獲得し日本人初のグランドスラムを達成。2011年2月、井岡弘樹の甥である井岡一翔がイーグルからWBC王座を奪ったオーレイドン・シスサマーチャイをKOで下し当時日本最短となるプロ7戦目での世界王座奪取を果たした。同年10月には八重樫東がWBA王座を奪取。翌2012年6月、この両者による日本初のWBA・WBC世界王座統一戦が行われ、勝利した井岡が日本初の統一世界王者となった〔日本初の統一戦にふさわしい激闘に敗者・八重樫にも総立ちの拍手 スポーツナビ 2012年6月20日〕。井岡は直後に両王座を返上したが、そのうちのWBA王座は大晦日に高校の同級生でありジムメイトでもある宮崎亮が取り戻した。2015年5月、田中恒成が日本最短となるプロ5戦目でWBO王座奪取に成功。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本のボクサー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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