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日本の原子力政策(にほんのげんしりょくせいさく)では、第二次世界大戦以降、日本において主に原子力発電・原子力についての政策、またはエネルギー政策などについて詳述する。 == 日本の原子力政策の流れ == === 概要 === 戦時中からサイクロトロンにより世界最先端の研究を行っていたが、1945年8月の第二次世界大戦敗戦後、日本では連合国から原子力に関する研究が以後7年にわたり全面的に禁止された〔連合国軍最高司令官総司令部指令第三号第八項『日本帝国政府はウランからウラン235を大量分離することを目的とする、また他のいかなる不安定元素についてもその大量分離を目的とする、一切の研究開発作業を禁止すべきである』〕。しかし1952年4月に日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効したため、原子力研究は解禁されることとなった〔日本大学理工学部 物理学科 受験生の皆様へ - 2011年1月20日閲覧〕。 日本における原子力発電は、1954年3月に当時改進党に所属していた中曽根康弘、稲葉修、齋藤憲三、川崎秀二、前田正男らにより原子力研究開発予算が国会に提出されたことがその起点とされている。この時の予算2億3500万円は、ウラン235にちなんだものであった〔土井淑平 アメリカの核開発 - 2010年11月14日閲覧〕。 1955年12月19日に原子力基本法が成立し、原子力利用の大綱が定められた。この時に定められた方針が「民主・自主・公開」〔原子力基本法 第2条-原子力開発利用の基本方針 平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。〕の「原子力三原則」であった〔原子力安全・保安院 原子力の三原則 - 2011年1月20日閲覧〕。そして基本法成立を受けて1956年1月1日に原子力委員会が設置された〔原子力委員会 原子力委員会の役割 - 2011年1月20日閲覧〕。初代の委員長は読売新聞社社主でもあった正力松太郎である〔原子力委員会 原子力委員会の性格と構成 - 2011年1月20日閲覧〕。正力は翌1957年4月29日に原子力平和利用懇談会を立ち上げ、さらに同年5月19日に発足した科学技術庁の初代長官となり、原子力平和利用博覧会の開催や、読売系のメディアを駆使し、原子力の日本への導入に大きな影響力を発揮した。このことから、正力は日本の「原子力の父」とも呼ばれている。また朝日新聞社の田中慎次郎も設立時から原子力委員会参与に就いたほか、当委員会には湯川秀樹も参加したが、湯川は、急進的な正力と相容れず辞任している。 1956年6月に日本原子力研究所、現・独立行政法人日本原子力研究開発機構が特殊法人として設立され、研究所が茨城県東海村に設置された〔日本原子力研究所 沿革 - 2011年1月20日閲覧〕。これ以降、東海村は日本の原子力研究の中心地となっていく。 1957年11月1日には、電気事業連合会加盟の9電力会社〔1957年当時。現在は沖縄電力を含めて10社となっている。ただし沖縄電力は日本原子力発電に出資していない。〕および電源開発の出資により日本原子力発電株式会社が設立された〔日本原子力発電株式会社 沿革 - 2011年1月20日閲覧〕。 日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年10月26日で、東海村に建設された実験炉であるJPDRが初発電を行った。これを記念して毎年10月26日は原子力の日となっている〔原子力委員会 原子力知識の普及啓発 - 2011年1月20日閲覧〕。 尚、日本に初めて設立された商用原子力発電所は同じく東海村に建設された東海発電所であり、運営主体は日本原子力発電である。原子炉の種類は世界最初に実用化されたイギリス製の黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉であった。しかし経済性等の問題〔ATOMICA 黒鉛減速炭酸ガス冷却型原子炉 - 2010年11月14日閲覧〕によりガス冷却炉はこれ1基にとどまり、後に導入される商用発電炉はすべて軽水炉であった。 2011年には、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に起因する東京電力福島第一原子力発電所事故が発生した。国際原子力事象評価尺度に基づく評価は確定していないが、原子力安全・保安院による暫定評価は最悪のレベル7となっており、日本における最大規模の原子力事故である〔SciencePortal 福島第一原発事故評価チェルノブイリと同じレベル7に - 2011年6月14日閲覧〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本の原子力政策」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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