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この項では、日本の陣形史(にほんのじんけいし)について説明する。 == 古代律令期における陣形 == 白村江の戦いにおいて唐・新羅連合軍に敗北した日本はこれらの大陸国家に対抗する必要性から大陸式の軍隊編成をせまられ、7世紀後半に律令制を導入し、天武天皇12年(683年)11月に、「諸国習陣法」の詔を発することになる(『日本書紀』巻二十九)のが、日本における陣形の始まりである。さらに持統7年(693年)12月には「陣法博士等」が諸国に教習目的で遣わされた記述がある(同巻三十)。全国に広めることで大陸国家への侵攻を防ごうとしたものとみられる。結局、律令時代に海外からの侵攻はなく、陣形の実戦使用は国内の蝦夷に向けられたが〔乃至政彦 『戦国の陣形』 2016年 p.35.〕、軍団制の朝廷に対し、蝦夷は散兵で戦ったものとみられ〔乃至政彦 『戦国の陣形』 pp.50 - 51.〕、本来、同じ軍団制を相手に想定した密集隊形は蝦夷戦には不向きと判断された〔乃至政彦 『戦国の陣形』 p.51.〕。これはアテルイ戦大敗3年後の延暦11年(792年)6月に軍団制が廃止されたことからもわかる(『続日本紀』)。代わりとして、少数精鋭の騎馬兵から成る「健児(こんでい)」が採用された(従って、陣形から対散兵のための少数騎兵へと移行した)。 天平宝字元年(757年)『養老令』軍防令には、兵種別編成についての記述があり、中世前期のような領主別編成による連携問題もなかった〔乃至政彦 『戦国の陣形』 p.43.〕。 律令期における陣形がどのようなものだったのかは、9世紀の『令義解』軍防令には「陣列の法」が記されており、それによれば、前列(先鋒)25人(先頭は盾をもつ)で5列、後列(次鋒)25人(同様に先頭は盾をもつ)で5列の一部隊50人と定められている。 律令時代に対外戦争がなかったこともあり、古代における陣形は忘れ去られる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本の陣形史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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