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日本の電気機関車史(にほんのでんききかんしゃし)では、日本の鉄道における電気機関車の歴史について述べる。 == 電気機関車の導入 == 日本において、鉄道の電化は路面電車などの都市交通を対象にまず行われたが、後には蒸気機関車を従来用いていた路線でも、それが行われるようになった。 そんな中、1912年に信越本線の碓氷峠区間(横川駅 - 軽井沢駅)が電化され、そこで国有鉄道初となる電気機関車が使用されることになった。もともとこの区間はアプト式ラック鉄道と呼ばれる歯車を用いた車両を用いて急勾配を越える所であったが、それゆえに蒸気機関車では低速運転を強いられたことと、煤煙がひどく乗客や乗務員に難儀を強いることになったため、電化を行って改善をしようとしたのである。碓氷峠区間では、本線においてはトンネル断面の小ささから第三軌条集電方式を使用し、駅構内では感電の危険性があることから架線集電を採用していたため、この時使用された10000形(後のEC40形)機関車は架線・第三軌条両方の方式に対応できるものとなっていた。この電気機関車の威力は大きく、碓氷峠区間の所要時間はそれまでの1時間15分から49分に短縮された。 しかし、それが直ちに日本最初の電気機関車だったという訳ではない。足尾銅山において1891年〔1891年から1895年まで諸説あり。〕に電気機関車を走らせたのが嚆矢とされている。使用された機関車〔『古河足尾銅山写真帖 』1895年発行 当時の機関車の写真。〕は足尾銅山工作所がゼネラル・エレクトリック製電気機関車の図面をもとに制作したという〔西裕之「黎明期の電気機関車」『レイルマガジン』No39 1987年3月号、55-58頁〕。また、1899年に中央線の笹子トンネル建設工事で、2両の電気機関車が掘り出された土砂の運搬用として使用された記録がある。この機関車は、アメリカのボールドウィン・ロコモティブ・ワークス製の直流500V、軌間762mm、車軸配置B、重量5.4t、出力15PSの小型機であった。笹子トンネルの工事終了後は、他のトンネル工事に使われたようであるが、その後の経歴は不詳である〔小熊米雄「わが国最初の電気機関車」鉄道ピクトリアル1952年4月号(No.9)〕。 また、1903年には九州の官設八幡製鐵所構内鉄道で「骸炭(コークス)運搬電車」としてE1と称するドイツ・アルゲマイネ社製B型電気機関車が導入されている。これは現存する銚子電鉄デキ3形電気機関車に類似の1,067mm軌間用凸型機で、当初よりローラー付き菱枠パンタグラフを搭載する、先進的な設計の機関車であった。八幡製鉄所では以後、E2(1908年)・E3(1916年)と同型機が順次輸入され、さらに1921年には安川電機製のデッドコピー機であるE4が導入されている〔鉄道史料編集部「製鉄所写真帖より - 創業期の構内鉄道 - 」『鉄道史料 第64号』、鉄道史資料保存会、1991年、pp.1-10。〕。 私鉄では1912年に路線を電化して電車運転を行っていた大阪高野鉄道(後の南海高野線)が、1916年に電気機関車を導入した。この機関車は初の日本製電気機関車である。木造凸型車体で1922年までに自社工場で5両が製造された。最初の1両は台車や電動機、制御器などがアメリカからの輸入品であったが、アメリカが第一次世界大戦に参戦した翌1917年・1918年に増備した2両については、アメリカからの輸入が不可能なためすべての部品を日本国内で製造した。ただし、大阪高野鉄道や駿豆鉄道(1921年導入・雨宮製作所製)が導入したこれら初期の本線用電気機関車は電車用の電気機器を使用するものであり、大型・大電力用の制御装置や大出力主電動機などの電気機関車独自技術を反映させたものではない。また、それらの日本製機器もすべてアメリカあるいはイギリス製の機器のデッドコピー品である。 国鉄でも碓氷峠用として、1919年に10000形の機構を模倣・4動軸化した国産機の10020形(後のED40形)を増備している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本の電気機関車史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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