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日本アマチュア将棋連盟(にほんアマチュアしょうぎれんめい)は、全国のアマチュア将棋愛好者でつくる全国組織。通称「アマ連」。 会員の技量錬磨や交流を図り、アマ将棋界の健全な発展を目指すことなどを目的としている。プロ棋士でつくる日本将棋連盟とは別組織であり、現在社団法人化を目指している。法人化はされていないが要件を満たす規模はあり、民法上の「権利能力なき社団」(いわゆる「みなし法人」、「任意団体」の位置付け)にあたる。 ==略史== *1977年 関則可、柿沼昭治、今福栄、岸本王晴らによって設立。この創設には、アマチュア強豪を軽視していたプロ棋界への反発があった。会長には元・通産次官の佐橋滋、副会長には東京都議会自民党幹事長の渋谷守生を迎えた。 *同年より機関誌「将棋ジャーナル」を刊行開始。初代編集長は岸本王晴、発行人は関則可。のちに湯川博士が編集長となり、一般書店でも販売を行いユニークな誌面を構成した。 *また同年、名人戦を失ってプロ棋界と対立していた朝日新聞社主催にて、アマチュア初の挑戦制の棋戦「朝日アマ名人戦」が開始する(なお、関、柿沼は朝日新聞の観戦記者であった)。他に「朝日アマ名人戦」の「名人及びベスト8」の9名とトッププロとが対戦する「アマプロ角落ち戦」も企画され話題となる。全日本プロ将棋トーナメントが開始される1982年まで、朝日新聞将棋欄にはアマチュア棋士の棋譜が掲載され続けた。 *1979年 アマ連参加者同士の対戦で認定される「レーティング」を元にした棋戦「全国レーティング選手権」が開始される。 *1980年 アマチュア各棋戦のチャンピオンを集めて「真のチャンピオン」を決める棋戦「グランドチャンピオン戦」が開始される。 *1987年 初代会長佐橋滋が退任。副会長だった渋谷守生が第2代会長に。 *1989年 「平成最強戦」が開始され、以降年2回、1月に東京、8月に大阪で開催されるようになる。前哨戦として大会当日限りの1dayトーナメント「ミニ最強戦」も始まる。将棋ジャーナルは慢性赤字のため継続の危機を迎えたが、作家の団鬼六が社主となり刊行を継続する。 *1994年 「将棋ジャーナル」は、団自らコラムを執筆するなどして建て直しを図ったが赤字が嵩んで廃刊。一部の記事が「近代将棋」誌に移動した。 *2006年頃 不況により「平成最強戦」大阪大会が休止。東京大会が1月から8月に移る。以降年1回、8月に東京での開催のみとなる。また、平成最強戦におけるミニ最強戦も同時期に廃止された。 *2008年 日本将棋連盟より第15回大山康晴賞団体部門を受賞(第2代会長だった渋谷守夫も個人部門を同時受賞)。この頃よりグランドチャンピオン戦の全国大会はなくなり、都道府県毎に優勝者を決める大会になっていった。 *2013年 平成最強戦に新たにジュニアクラスを新設(大会名は「平成最強戦ジュニア」)。 *2014年 平成最強戦にミニ最強戦が復活。朝日アマ名人戦予選に女性代表枠を新設。 *2015年 会報誌「アマレン」が8月号を以て300号到達。これを記念し8月16日に記念大会を開催。 将棋ジャーナルの廃刊以降、アマ強豪に対するプロ棋界の見方が徐々に改善され始めてくると、主に「アマチュア将棋の普及」に趣旨を変え、上記の大会の主催を継続しながらも全国各地でレーティングを使ったローカル大会を開くなど細々と活動を続け、現在に至る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本アマチュア将棋連盟」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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