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日本クラウン株式会社(にっぽんクラウン、''Nippon Crown Co., Ltd.)''は、日本の総合音楽企業。商標名はクラウンレコードで、1973年から1990年の間は、正式社名もクラウンレコード株式会社としていた。 == 沿革 == 1963年9月、日本コロムビア常務兼レコード事業部長だった辣腕プロデューサーの伊藤正憲が、有田一壽(若松築港社長、後に新自由クラブ参議院議員)と三菱電機の支援を得て独立。馬淵玄三(五木寛之の連作小説〔『艶歌の竜』=高円寺竜三シリーズ〕のモデルになった同社文芸部ディレクター)、斎藤昇(同ディレクター、後に社長~会長)、星野哲郎(作詞家)、米山正夫(作曲家)、北島三郎、水前寺清子らが伊藤を慕い行動を共にした。 日立グループのコロムビアから三菱グループへの鞍替えには困難が伴い、北島の楽屋を訪れた斎藤と星野が脱藩の決意を眼力だけで訴えたという経緯は、盃事に脚色した『兄弟仁義』に昇華、レコード・映画化され大ヒットし同社の礎を築く〔サブちゃん物語 第五話 (北島音楽事務所) 〕。 日本クラウンは、追って創立されたミノルフォンと共に、自前の工場を持たず制作とプロモーションに特化してアーティスト主導の業務内容を打ち出した本邦初のレコード会社で、プレスは、プレス専業社のヤンマー音響や東洋化成等に外注する形を採っていた〔ヤンマー音響は日本ビクター等からも、東洋化成はキャニオンレコード・フォーライフ・レコード等からも受請。後者はカッティング・マスタリングも受請していた。〕〔関西発レコード120年 埋もれた音と歴史 第7部 (神戸新聞、1999年1月28日)〕〔 誰か昭和を想わざる 昭和ラプソディ(43年・上) 〕。1970年代後半まではミュージックテープはポニーが生産する場合があった。 1967年に長寿ラジオ番組『クラウンレコード千円クイズ』(後の1万円クイズ、ラッキープレゼント)を開始。1970年2月、日本テレビとの共同出資でユニオン映画を設立し、映像部門にも進出。1972年には市川昭介(作曲家)を専属に迎え入れる等、布陣拡充を図ったが、主力の演歌市場の停滞に伴い経営は悪化し、三菱グループ側が保有株式をカラオケ大手の第一興商へ徐々に譲渡した結果、第一興商の持分会社化・連結対象化し、三菱グループから離脱して現在に至る〔日本クラウンが第一興商の子会社となったのは2001年7月である。〕。 1998年まで、当時自前の流通網を持たなかったエイベックス・ディー・ディー(現エイベックス・グループ・ホールディングス)の販売を受託していた。その後、共に第一興商傘下に入った日本クラウンと徳間ジャパンコミュニケーションズ(ミノルフォンの後身)は、2002年以降、販売部門を統合している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本クラウン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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