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日本サッカーリーグ(にほんサッカーリーグ、Japan Soccer League、略称:JSL)は、1965年から1992年まで存在した日本のサッカーリーグである。日本サッカーの競技レベル向上を目的に発足した。 日本における団体競技の全国リーグはプロ野球(1936年に第1回開催)以来31年ぶりの新設であり、アマチュアを対象としたものはこのリーグが日本初である。 1993年から始まった日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の基礎になったリーグである〔今も日本サッカーの父 - 日刊スポーツ 〕〔日本リーグの錦の御旗 - 牛木素吉郎&ビバ!サッカー研究会 公式サイト 〕〔Jリーグの基礎である日本サッカーリーグ27年間 、ラモス瑠偉 オフィシャルウェブサイト、2013年5月16日〕。 == 歴史 == 日本代表コーチを務めたデットマール・クラマーの残した「リーグ戦形式にしなければ日本の強化には成らない」との提言から、西村章一、長沼健、岡野俊一郎、平木隆三、重松良典らの尽力により、同リーグが創設された〔〔〔日本サッカーリーグの創設(上) 、日本サッカーリーグの創設(下) 〕〔オリンピック代表監督からワールドカップ招致まで 40年間を日本協会とともに 長沼健(下) 、多くの困難を乗越えて日本サッカーリーグ開幕|賀川サッカーライブラリー 、〕〔#本当に210-216頁〕〔#証言者34-36頁〕。クラマーの提案は、ドイツの北部・南部・西部3リーグ制の地域リーグであるレギオナルリーガを想定していたが、新幹線と在来線を乗り継げば「全国リーグ」が出来ると反撥したのは長沼たちであったという〔。最初は社会人だけでなく大学チームにも門戸を開放しようとリーグ名に「実業団」を入れず、「日本サッカーリーグ」という名称になった〔。結局、早稲田大学を誘ったが、大学リーグの日程との調整が難しいと参加を見送った〔。 社会人クラブの強豪・古河電工、三菱重工、日立本社を中心とする8チーム(オリジナル8)が参加し、国内初のサッカー競技のリーグ戦が開催されることが決定した〔〔。この3チームは「丸の内御三家」と呼ばれ、リーグの運営や日本代表の強化方針に対して後々まで強い発言力を持つに至った。 第1回大会は1965年6月6日に開幕し東洋工業が初代王者に輝いた。最終節で優勝を決めた東洋工業監督の下村幸男が胴上げされたのは、広島大学附属高校のグラウンドであった。 1960年代後半から1970年代前半にかけては、1968年の日本代表のメキシコ五輪銅メダル獲得もあり注目を集めた。その中でも釜本邦茂を擁するヤンマーディーゼルと、杉山隆一を擁する三菱重工は実力と人気を二分した。しかしその後の日本代表の成績不振もあり、1970年代中盤以降は観客動員の低迷が続き冬の時代とまで呼ばれた。 1980年代に入ると読売クラブや日産自動車といったプロ化を視野に入れたチームが台頭し、1986年のスペシャル・ライセンス・プレーヤー制度の導入以降はこの2チームがタイトルをほぼ独占した。この両者の対戦はサッカーファンの人気を集め、最後のシーズンとなった1991-92シーズンの第21節、1992年3月22日に国立霞ヶ丘陸上競技場で行われた試合では6万人の観衆を集めた。 この背後ではプロ化へ向けての動きが着々と進み、1989年にプロリーグ検討委員会が発足。1991年11月に社団法人日本プロサッカーリーグが正式に発足すると1992年3月29日の最終節を持ってJSLは廃止され、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)と下部組織のジャパンフットボールリーグ (JFL) へ発展解消されることとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本サッカーリーグ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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