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日本テレワーク株式会社(にほんテレワーク、英名:JAPAN TELEVISION WORKSHOP CO.,LTD.)は、1976年から2011年にかけて存在したテレビ番組の制作プロダクション、CMやビデオの制作を手がけた企業である。 == 概要 == 1976年(昭和51年)8月20日、社内プロダクション制度が敷かれたフジテレビで「ひらけ!ポンキッキ」と「第三の眼」を担当していた制作担当社員ら17名が独立して設立した。担当した番組はそのままフジテレビから日本テレワークに制作が委託され、初代の社長にはフジテレビ編成局長だった武田信敬が就任した〔石井清司『全国テレビプロダクションベスト100社』東急エージェンシー出版部、2003年、pp.378-382〕。 フジサンケイグループの関連企業で、1998年当時の株主構成は、フジテレビが1万5千株の筆頭株主、ついで1万4千株のフジサンケイリビングサービス、同じく1万4千株の野田宏一郎という順であった〔西正『図解 放送業界ハンドブック』東洋経済新報社、1998年、p.208〕。フジテレビ代表取締役社長を務めた村上光一も取締役として在籍したことがあるなどフジテレビとの関係は強かった。 フジテレビ出身で「ひらけ!ポンキッキ」の番組キャラクター「ガチャピン」のモデルとされる野田宏一郎は創立時からの中心メンバーで前述のように主要株主でもあった。初代社長の武田の死去により1984年から野田が2代目社長となって2003年まで務めた〔塚田茂『どんどんクジラの笑劇人生 人気番組で綴るテレビバラエティ史』河出書房新社、1991年、pp.253-254〕〔野田昌宏について・略歴 早川ライブラリー 野田昌宏文庫公式サイト 内〕。SF作家、翻訳家の野田昌宏としての顔も持つ野田との関係で、SF作家の小松左京、地球物理学者の竹内均が設立と同時に顧問に就任。竹内が編集長を務めた科学雑誌「ニュートン」のテレビ版「ニュートン・スペシャル」などの科学番組を制作。初期の日本テレワークの特色としてきた〔。科学番組の他には生活情報番組が柱で、食モノや旅行モノといった路線があった〔。 1990年代には、フジテレビ系列の「カノッサの屈辱」「料理の鉄人」「ハンマープライス」といったケレン味あふれる作品群で人気を博す〔。 しかし、2005年(平成17年)以降、同社が制作担当した番組におけるやらせ・捏造問題(後述)が相次いで発覚し、2007年(平成19年)1月には当時の社長の引責辞任にまで発展。この影響で番組制作の受注が落ち込んだため、同年7月初めに全額出資子会社のネクステップを設立し、(番組制作)事業や110人の従業員の大半は、この新会社に移した。ちなみに日本テレワーク自体は、2011年(平成23年)12月1日、ネクステップに吸収合併され、35年の歴史に幕を閉じた。いわゆる看板の掛け替えである。 類似名の日本テレワーク協会とは人材・資本など関連はない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本テレワーク」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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