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一般財団法人 日本モーターサイクルスポーツ協会(にほんモーターサイクルスポーツきょうかい、、略称: MFJ)は、日本のモーターサイクルスポーツにを統括する団体である。約4万人の競技ライセンス所持者が、全国年間約800の公認・承認競技会に参加している。 == 概要 == 日本モーターサイクルスポーツ協会は、国際モーターサイクリズム連盟(FIM)に加盟し、日本で行われるオートバイやスノーモービルなどのモーターサイクルスポーツを統轄する組織である。 オートバイレーサーライセンスや審判員資格、スノーモービルレーサーライセンスは会員以外取得できない。サンデーレースのなかにはMFJの競技ライセンスを必要とする場合がある。なお、競技ライセンスの発行に関しては、四輪(自動車)レースにおける日本自動車連盟(JAF)の場合と異なり、オートバイの運転免許は原則として不要である。ただし、ピットクルーライセンスなど、一部に運転免許の有無でライセンスの有効内容が変わるライセンスは存在する。また正規の競技ライセンス以外に、ホビーレーサーのために安価な「エンジョイライセンス」の発行も行っているが、エンジョイライセンスは出場可能な競技の範囲が制限される。 1950年(昭和25年)にMFJは国際モーターサイクリズム連盟(FIM)に加盟した。当時の代表は、1930年(昭和5年)に日本人として初めてマン島TTレースに出場した 多田健蔵であったが、運営は木村正文(モーターマガジン社代表)に委託されていた。 その後、このMFJとは別の団体が「自分たちの団体がMFJである」という声明を雑誌『オートバイ』の1959年1月号(モーターマガジン社)で発表した。この新しいMFJに対しては全日本モーターサイクルクラブ連盟(MCFAJ)出身者たちがFIMに異議を申し立てた。このMFJは金銭に纏わる不祥事が起きて崩壊した。当時建設中の鈴鹿サーキットを視察するために来日したFIM会長ノーティアはこのような日本の現状を知り、暫定的にメーカー主導の団体をFIMの公認団体とする。木村正文はFIMの代表機関であることを主張していたが、日本の二輪モータースポーツの発展を優先してこの主張を取り下げ、1961年(昭和36年)に「日本モーターサイクルレース協会」(現在の「財団法人 日本モーターサイクルスポーツ協会」)MFJが発足し、鈴鹿サーキットのこけら落としとなる「第1回全日本選手権ロードレース大会」を主催した〔『サーキット燦々』(p191 - p196)より。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本モーターサイクルスポーツ協会」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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