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日本三古碑(にほんさんこひ)は日本各地に点在する古代碑のうち、書道史の上から極めて重要とされている三つの碑(金石文)。栃木県大田原市の那須国造碑、宮城県多賀城市の多賀城碑、群馬県高崎市吉井町の多胡碑を指す。いずれも飛鳥時代~奈良時代にかけての8世紀前後のものである。 ==概要== 古来古墳時代より鉄剣や石などに文字を刻み、墓の墓誌や死者の副葬品、あるいは特定の出来事を記録する記念碑など多種多様の金石文が作られた。多くが時代の闇の彼方に姿を消すものの、金属や石などの剛健な物に刻まれている事から、伝来、若しくは発掘された場合、当時の出来事を鮮明に伝えるものとなる。そうした石に刻まれた金石文、即ち「碑」の中で、書道史上から重要とされ日本三古碑と言われるようになったのが、那須国造碑、多賀城碑、多胡碑の三つである。 三古碑というまとめ方が生じたのは明治時代に入ってからと考えられているが、その経緯は不明である〔多賀城市史編纂委員会『多賀城市史』第1巻(原始・古代・中世)、多賀城市、1997年、387頁・390頁。〕。考古学的に古い順によるものではなく、これらより古い碑が存在する。例えば多胡碑の周囲には山ノ上碑、金井沢碑という古代碑が点在しており、多胡碑を含め上野三碑と呼ばれる。この中で一番古いのは681年建碑の山ノ上碑であり、8世紀後半建碑と推定される多胡碑より古いだけでなく、日本三古碑中最古の建碑である那須国造碑(700年建碑)よりも古い。 しかしながら多胡碑は続日本紀に記載される多胡郡が設置された公の事跡を記念した碑である。弁官局からの命令をそのまま記載した碑文となっており、天武天皇皇子の穂積親王など、当時の高官の名が刻まれている。保存状態も良く、覆堂のガラス越しからでも肉眼ではっきりと碑文が読める。上野三碑のいずれも貴重である事は間違いないが、その中でも多胡碑は当時の事跡を文献史学・歴史考古学的に実証している重要な碑である。 那須国造碑、多賀城碑、多胡碑の三古碑が書道史上で重要とされるという事は、当時の貴人、高僧などの高い教養をもった人物によって刻まれているのは当然として、尚且つある程度の長文が刻まれ、風化、破損が少ないという事である。即ちこれらの条件を兼ね備えるという事は、必然的に文献史学・歴史考古学的にも極めて重要な位置づけとなっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本三古碑」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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