|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 日 : [にち, ひ] 1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day ・ 日本 : [にっぽん, にほん] 【名詞】 1. Japan ・ 本 : [ほん, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 本丸 : [ほんまる] (n) inner citadel ・ 丸 : [まる] 【名詞】 1. (1) circle 2. (2) full (month) 3. (3) perfection 4. purity 5. (4) suffix for ship names ・ 級 : [きゅう] 1. (n,n-suf) class, grade, rank 2. school class, grade ・ 貨客 : [かきゃく] (n) freight and passengers ・ 貨客船 : [かきゃくせん] (n) combined cargo and passenger ship ・ 客 : [きゃく] 【名詞】 1. guest 2. customer ・ 客船 : [きゃくせん] 【名詞】 1. passenger boat ・ 船 : [ふね] 【名詞】 1. ship 2. boat 3. watercraft 4. shipping 5. vessel 6. steamship
日本丸級貨客船(にほんまるきゅうかきゃくせん)は、かつて東洋汽船が所有していた貨客船のクラスの一つである。日本における最初の本格的な貨客船であり、貨主客従の傾向があった当時の日本の貨客船とは違った趣を持っていた〔#三浦 p.71〕。浅野総一郎率いる東洋汽船は、この日本丸級貨客船をもってサンフランシスコ航路を開設し、航路は日本郵船への継承を経て40年余りにわたって継続、日本の海運業界における花形航路の一つとして発展した。後年は大阪商船と海外業者の手に渡り、大阪商船に継承されたうちの一隻は太平洋戦争で戦没して、半世紀近い生涯に幕を閉じた。 なお、主に建造までの背景や特徴などについてもここで説明する。 ==建造までの背景== これまで上海などの近距離の海外都市との間に航路を開設していた日本の海運業者が、比較的遠方の海外都市に定期航路を開いたのは1893年(明治26年)のことで、日本郵船がボンベイ航路を開設したのが最初である〔#三浦 p.70〕。日清戦争後に航海奨励法と造船奨励法が施行されると、日本郵船が他社に先んじて欧州航路、シアトル航路および豪州航路を相次いで開設していった〔。こうした日本郵船の動きに対抗心を燃やしていたのが浅野で、従来から持っていた小規模海運業者を主体とする浅野廻漕店を解散して、海外への雄飛を企図した東洋汽船を設立した〔〔#山高 p.114〕。 東洋汽船設立後、浅野はただちにアメリカとヨーロッパに赴き、アメリカではサザン・パシフィック鉄道社長立会いの下、(PM社)およびオリエンタル・アンド・オクシデンタル社(Oriental and Occidental)との提携を申し入れ、サンフランシスコと香港間の航路を、パシフィック・メイルおよびオリエンタル・アンド・オクシデンタルの船舶6隻、東洋汽船の船舶3隻で共同運航するという形で設立する契約を取り付けた〔〔。浅野は次にイギリスにわたり、複数の造船所に新造船の概要を提示して、そのうちサー・ジェームズ・レイング社(Sir James Laing & Sons Co.)とが浅野のオファーに応じ、1897年(明治30年)にレイング社が2隻、スワン・ハンター社が1隻建造するという内容で建造契約を取り付けた〔#三浦 pp.71-73〕〔#山高 pp.114-115〕。これが日本丸級貨客船である。船価は96万円から120万円で提示されていたが、最終的には98万円、日本への回航費を含めると120万円に達した〔#三浦 p.71,76〕。1994年ごろの価格に換算すると全船価48億円、トン当たり80万円程度となるが、その当時のクルーズ客船の船価も60万円から80万円であまり差はない〔#三浦 p.77〕。 なお、建造所のうちサー・ジェームズ・レイング社は、浅野が石油事業で懇意にしていたサミュエル商会〔ライジングサン石油、シェル石油を経て現在の昭和シェル石油。〕と縁が深かった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本丸級貨客船」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|