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『日本南極探検』(にっぽんなんきょくたんけん)は、1911年(明治44年)から1912年(大正元年)にかけて製作された日本の短篇ドキュメンタリー映画である〔''NIPPON NANKYOKU TANKEN'', ポルデノーネ無声映画祭 , 2012年5月16日閲覧。〕〔''日本南極探検''、日本映画情報システム、文化庁、2012年5月16日閲覧。〕〔''日本南極探検(白瀬南極探検隊ドキュメントフィルム)''、早稲田大学、2012年5月16日閲覧。〕。『南極実景』(なんきょくじっけい)とする資料も存在する〔''南極実景''、日本映画データベース、2012年5月16日閲覧。〕。梅屋庄吉のM・パテー商会(現在の日活の前身の一社)が製作・配給し、1912年に公開された〔〔。 == 略歴・概要 == 白瀬矗は1910年(明治43年)11月28日に南極探検を開始、その後天候の不順からオーストラリアのシドニーに一時戻っていた〔〔。同探検のスポンサーである大隈重信は、映画会社であるM・パテー商会を経営する梅屋庄吉にドキュメンタリー映画の撮影を依頼、梅屋は同社の撮影技師田泉保直をシドニーに派遣、随行させて「第二次南極探検」の撮影を行った〔〔。田泉は同隊に随行する全期間で、35mmフィルムを4,000フィート回した〔。撮影機材は、のワーウィック撮影機〔〔展覧会 映画遺産 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年5月16日閲覧。〕。 本作は、1912年に完成し、同年6月28日、M・パテー商会が配給して、浅草の国技館で公開した〔〔。同年9月1日には、同社は他3社と合併して日活となった。日活は、同年11月15日に、浅草公園六区の大勝館を筆頭に『南極探検』という映画を公開しているが、これは牧野省三監督、尾上松之助主演の劇映画であり、本作とは異なる〔南極探検 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年5月16日閲覧。〕〔南極探検 、日本映画情報システム、文化庁、2012年5月16日閲覧。〕。 その後、白瀬は本作のフィルムプリントを使用しての講演を行い続けた〔。 2012年(平成24年)5月現在、東京国立近代美術館フィルムセンター、早稲田大学の両者が上映用プリントを所蔵している〔〔。前者は35mmフィルム・20分、後者は16mmフィルム・15分である〔〔。フィルムセンターのプリントは、2001年(平成13年)にイタリア・ポルデノーネで行われた第20回ポルデノーネ無声映画祭で上映されている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本南極探検」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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