|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 日 : [にち, ひ] 1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day ・ 日本 : [にっぽん, にほん] 【名詞】 1. Japan ・ 本 : [ほん, もと] 1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation ・ 橋 : [はし, きょう] 【名詞】 1. bridge ・ 栄 : [さかえ, はえ] 【名詞】 1. glory 2. prosperity
日本橋 きみ栄(にほんばし きみえ、1915年(大正4年)1月27日 - 1993年(平成5年)10月9日)は、日本の歌手。 == 経歴 == 本名は荒井 きよ子。日本橋で芸者をしていたが、折からの鶯芸者ブームで、1934年(昭和9年)ニットーレコードからデビュー。ビクターの市丸、小唄勝太郎、コロムビアの音丸、豆千代、藤本二三吉、赤坂小梅、ポリドールの浅草〆香、新橋喜代三、テイチクの美ち奴らと並んで活躍する。その後ポリドールの専属となり、1937年(昭和12年)『蛇の目のかげで』をヒットさせている。他の曲には『お夏狂乱』『五月雨傘』『島の夕波』などがある。 戦後もポリドールに残り、1948年(昭和23年)11月には各社競作の『炭坑節』が大ヒット、1950年(昭和25年)にはテイチクの美ち奴と競作になった『ソーラン節』をヒットさせたが、その後はヒット曲に恵まれず、吹き込みも減っていった。昭和30年代からは小唄・端唄・俗謡といった邦楽を専門に活動するようになり、日本ビクターに移籍。弟子をとり、後進の育成に精進する傍ら、自らも邦楽の普及に努めた。 1965年(昭和40年)頃からのなつメロブームの時期には、テレビ東京のなつメロ番組にも出演し、往年のヒット曲を披露している。 1971年(昭和46年)には芸術祭賞優秀賞を受賞。1975年には山田五十鈴主演の舞台『たぬき』の音曲を担当し、大評判となった。1992年秋頃から体調を崩し、翌1993年1月には端唄の家元を退く。1993年(平成5年)10月9日急性心不全で死去、78歳だった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本橋きみ栄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|