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日本水力株式会社(にほんすいりょくかぶしきがいしゃ)は、大正時代に存在した日本の電力会社。大正から昭和初期にかけての大手電力会社大同電力株式会社の前身の一つである。 設立は1919年10月。福井県に水力発電所と硫安工場を持つ同系の北陸電化株式会社(ほくりくでんか)を合併して事業をスタートし、北陸地方を中心とする電源開発構想と関西地方への送電計画を立ち上げたが、道半ばの1921年2月に大阪送電によって木曽電気興業とともに合併され、大同電力となった。 == 概要 == 日本水力株式会社は1919年(大正8年)10月10日〔創立総会開催日。『読売新聞』1919年10月11日付朝刊。〕、北陸電化株式会社と関西地方の大阪電灯・京都電灯の3社の関係者が中心となって設立した、発電・送電事業を主体とする電力会社である〔。資本金は4,400万円、のち北陸電化の合併により5,000万円となった〔。社長は山本条太郎〔。合併した北陸電化というのは、1917年(大正6年)8月の設立で、福井県に発電所と石灰窒素や硫酸アンモニウム(硫安)の製造工場を建設していた企業である〔。 発足なった日本水力は、岐阜県北部から北陸3県を回って京都・大阪へと至る送電線建設の許可を受け〔『京都電灯株式会社五十年史』、169-172頁〕、関係者から北陸・関西の6府県における水利権を集めてこれを開発し、その発生電力を関西方面へと供給する構想を立てた〔。しかしながら戦後恐慌を期に、関西方面への送電を目指すという点で目的を同じくする大阪送電および木曽電気興業(社長は福澤桃介)との合併話が浮上し、1920年(大正9年)10月に合併契約に調印〔。翌1921年(大正10年)2月25日付で木曽電気興業とともに大阪送電に吸収され、大同電力株式会社となった〔。 日本水力が所有した発電所はその後の変遷を経て北陸電力に継承されている。また兼業の硫安事業は後に信越化学工業へと統合された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本水力」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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