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日本美術史(にほんびじゅつし)とは、日本の美術の流れ、様式の変遷、各時代の代表的な作品や作家の研究、相互の影響関係、作品や作家を生んだ時代背景(政治、経済、信仰、風俗、社会、文学などとの関連)などについて述べたもの、またはそうした分野を研究する学問のこと。 本項では日本美術史の概観を述べるにとどめ、各時代の美術についてはそれぞれ別項目を設けて詳説する(予定)。 == 概論 == === 「日本美術史」の始まり === 「美術」という用語は、1873年(明治6年)、日本政府がウィーン万国博覧会へ参加するに当たり、出品分類についてドイツ語の Kunstgewerbe および Bildende Kunst の訳語として「美術」を採用したのが初出とされる(山本五郎『意匠説』:全文は近代デジタルライブラリ所収〔 〕)。すなわち「墺国維納府博覧会出品心得」の第二ケ条(展覧会品ハ左ノ二十六類ニ別ツ)第二十二区に「美術(西洋ニテ音楽、画学、像ヲ作ル術、詩学等ヲ美術ト云フ)(後略)」と記される〔青木茂,酒井忠康校注『美術』岩波書店, 1989, p.403-405 所収。同書中、青木茂、北澤憲昭の解題に山本(明治23年)を引用している。)〕。あるいは西周 (啓蒙家)が1872年(1878年説もあり)『美妙学説』で英語のファインアート(fine arts)の訳語として採用した(「哲学ノ一種ニ美妙学ト云アリ、是所謂美術(ハインアート)ト相通シテ(後略)」とある)〔西周著「美妙学説」(西周全集/大久保利謙編著.第1巻,宗高書房 p.477-492所収)〕もっとも、この当時の「美術」には詩や音楽なども含まれ、現代日本語の「芸術」に近い語義であった。「美術」という単語自体が明治時代案出の訳語であり、西洋の概念を日本に当てはめたものであった以上、「日本美術」あるいは「日本美術史」という概念もそれ以前の時代には存在しなかった。「美術館」「美術家」「美術史」などの語も当然明治時代以降に使用されるようになったものである。「美術館」という名称は1877年(明治10年)に東京・上野で開催された第1回内国勧業博覧会の陳列館の名称として使用されたのが初出である〔東京国立博物館の歴史6.内国勧業博覧会 殖産興業と博物館 http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=149〕。1889年(明治22年)に開校した東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)では「美学及び美術史」が開講され〔『改正官立公立及ビ私立諸学校規則』(近代デジタルライブラリー所収)p.10 全文:〕、この頃から「美術史」の語は現代と同様の意味で使用されている。1900年(明治33年)には日本初の美術史本と目される『稿本日本帝国美術略史』が刊行された(近代デジタルライブラリーに全文あり)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本美術史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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