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本記事では、日本の競馬における日本調教馬の日本国外への遠征について述べる。 == 歴史 == === 戦前 === 日本国内で調教された競走馬による日本国外への遠征のうち、はっきりとした記録のある最古のものは、1909年にロシアのウラジオストクで行われた日露大競馬会への参加とみられる〔。 当時の日本では日露戦争を経て馬匹(軍馬)改良の必要性が叫ばれ、競馬は馬産振興の一助として行われており、それを担う競馬主催者の収入源として、馬券の発売は政府から「黙許」されていた〔『日本競馬史(第2巻)』pp.125-131〕。しかし営利目的の競馬開催が横行し、観客は馬券的中に血道を上げ、競馬場内では騒擾事件が頻発するに及び、その弊害を重くみた政府は1908年10月6日をもって馬券発売を全国的に禁止した〔『日本競馬史(第2巻)』pp.210-216〕。これにより財源を失った全国の競馬主催者は大打撃を受け〔、日本競馬は暗黒時代を迎えていた〔。 そうしたなかでウラジオストクの烏港競馬倶楽部より横浜の日本レース・倶楽部へ合同開催の誘いがあったことから、日本の競馬関係者は喜んでこれに応じ、20数名のホースマンと、スイテン、ジンソウ、ソトヤマ、カンサイといった強豪を含む50頭近くの競走馬がロシアへ渡った〔『日本競馬史(第2巻)』pp.83-87〕。日露合同開催は9月5日にはじまり、以後9月19日までの6日間の開催で54競走が組まれた〔。その内容には1.各抽籤日本産馬競走、2.各日本産馬及び抽籤日本産馬競走、3.各産馬トロッティング競走、4.日本各競馬会豪州産馬競走、5.各産馬競走、6.日本各競馬会抽籤豪州産馬及び露国産馬混合競走、7.各日本産馬及びシベリヤ産馬混合競走の7種があり、1、5、6、7の競走では最終日に優勝戦が組まれた〔。中でも優秀な成績を挙げたのは安田伊左衛門の所有馬スイテンで、優勝戦を含む5戦5勝の成績を残した〔。日露合同での競馬は、正式にはこの一開催のみ行われた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本調教馬の日本国外への遠征」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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