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日本長暦(にほんちょうれき)は、延宝5年(1677年)に渋川春海によって編纂された〔ただし、現存するものは貞享暦編纂後に校訂されたものである。〕日本最古の長暦。全2巻。単に「長暦」とも呼ばれる。 神武天皇即位直前の甲寅10月〔神武天皇が日向国を出発した月にあたる。〕(紀元前667年)より、渋川自身が制定した貞享暦に完全移行された貞享2年(1685年)〔前年の貞享元年10月29日(1684年12月5日)に「貞享暦」を正式名称としてこれを実施する詔が出された。〕までの2350年余の元号・毎月朔日の干支・月の大小・閏月の有無などを計算したものを記録した。 上巻は序は日本の暦学史と本書編纂目的について解説され、春海が影響を受けた垂加神道の説に従って伊弉諾尊が初めて日の三天を観測し、神武天皇の時代に始めて正月を年始にしたとする説、儀鳳暦以前に失われた上古暦法が存在した〔神武天皇が即位した辛酉年(紀元前660年)に制定され、計算により仁徳天皇11年(323年)と舒明天皇7年(635年)に改暦されたとする見解を述べている。〕とする説などを記載するとともに、古暦復元と貞享暦編纂の意義を説いている〔なお、元嘉暦については持統天皇が儀鳳暦と併用されたのが使用の最初と考えて、それ以前の使用を認めていない(推古天皇の時代に伝来した暦(現代ではこれを元嘉暦とする)は不詳とする見解を立てている)。〕。続いて暦表の凡例が暦算計算と実際の暦との関係論などとともに記載され、以後甲寅年より持統天皇11年/文武天皇元年(697年)までの暦日を扱い、下巻は文武天皇2年(698年)以後、貞享2年(1685年)までの暦日を扱っている。文武天皇2年(698年)の記事には二十四節気全てを記載し、以後は立春と冬至の日付を毎年付記している。なお、渋川は日本長暦編纂の資料とするために、『日本書紀』が用いた暦法について研究した『日本書紀暦考』と貞享暦とそれ以前の宣明暦との比較について論じた『古今交触考』を著しており、これらを日本長暦と一体と看做す場合がある。 毎年の暦(具注暦・仮名暦)が編纂され、その年が終わるといつか忘れ去られていった日本の過去の暦日を集成した長暦としては最古のものであり、これに刺激される形で安藤有益の『本朝統暦』や中根元圭の『皇和通暦』など、『日本長暦』を補完あるいは訂正する形で長暦を編纂した。また、『大日本史』編纂に関与した藤田幽谷は、長暦こそ作成しなかったものの、著書『暦考』の中で推古天皇12年(604年)を元嘉暦導入とする説を唱えた。更に高橋景保と土御門泰邦がそれぞれ渋川に続く貞享2年(1685年)以後の長暦編纂を行っている。近代以後もグレゴリオ暦による計算の追加や、より科学的・歴史的な観点から修正が加えられたいくつもの長暦が作成されたものの、日本長暦が日本の暦学・暦法を研究する上で重要な原典である事実には変わりがない。 現在は神宮文庫や国立国会図書館、宮内庁書陵部などに写本が残されている。 == 参考文献 == *桃裕行「日本長暦」(初出:『古典の事典』第8巻(昭和61年(1986年)、河出書房新社)・再録:『桃裕行著作集 8』(平成2年(1990年)、思文閣出版)) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本長暦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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