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株式会社日本電波ニュース社(''Nihon Denpa News Co.,Ltd''、略称''NDN'')は、「日本で初めてのテレビニュース通信社」〔 APF通信社(略称: APF、1992年設立)が「日本初の独立系ニュース通信社」を自認しているが、テレビメディアの歴史のなかでは同社が先。〕として創立され、テレビ番組とビデオ・パッケージを制作する日本の企業である。本社は、 東京都港区南麻布一丁目〔株式会社日本電波ニュース社会社概要 〕。1975年のサイゴン解放(サイゴン陥落)をカラーフィルム映像で伝えるなど、スクープも少なくない。創立以来、NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京、朝日放送、読売テレビ、関西テレビ等、在京キー局や準キー局を中心にニュースを提供してきた。かつては自主上映向けや劇場向けの映画も製作した。 == 沿革 == 1960年3月2日、日本放送協会従業員組合初代委員長で、1950年のレッドパージで職場を追われた柳澤恭雄が、テレビ局に共産圏・東欧諸国を含む海外ニュースを配信する目的で、東京都中央区京橋に設立された〔秋山久 ネットジャーナル「Q」第140回 評伝「ジャーナリスト柳沢恭雄さんの死」(2007年10月31日) 〕。元NHK記者や記録映画社のカメラマンらをスタッフとして雇用〔秋山久 ネットジャーナル「Q」第140回 評伝「ジャーナリスト柳沢恭雄さんの死」(2007年10月31日) 〕。 1961年、日本テレビ特番「新中国を行く」放映。これは、日本のテレビ界初の中国紹介番組とされる〔株式会社日本電波ニュース社会社概要 〕。 1964年、中国の北京、北ベトナムのハノイそれぞれ支局を開設〔株式会社日本電波ニュース社会社概要 〕。1965年、米軍による北ベトナムへの「北爆」が激しくなるにつれて、この状況を映像でとらえた報道で海外からも存在を知られるようになる〔株式会社日本電波ニュース社会社概要 〕。 1966年、映画部門を創設〔株式会社日本電波ニュース社会社概要 〕。 1968年、カンボジアプノンペンに支局開設。「インドシナニュース」とテレビ局向けの「特集番組」制作に本格的に取り組む〔株式会社日本電波ニュース社会社概要 〕。1969年、チェコスロバキアのプラハに支局開設〔株式会社日本電波ニュース社会社概要 〕。山本薩夫監督・編集の記録映画「ベトナム」完成〔日本映画データベース「ベトナム」 〕。120万人を動員〔株式会社日本電波ニュース社会社概要 〕。1975年、サイゴン解放を報道〔株式会社日本電波ニュース社会社概要 〕。1976年、エジプトのカイロに支局開設〔株式会社日本電波ニュース社会社概要 〕。1977年、山本薩夫総監督の記録映画「トンニャット・ベトナム」完成〔日本映画データベース「トンニャット・ベトナム」 〕。 1980年、これまでのフィルムによる映像配信に加え、ビデオでのニュース配信を開始。1987年、広告代理業務を行なう関連会社を設立。1994年、ザイールのゴマに臨時支局を設置し、ルワンダ内戦を取材。1995年、阪神・淡路大震災で現地に臨時支局をおいた〔株式会社日本電波ニュース社会社概要 〕。2000年、ハイビジョン化に取り組む。2002年からアフガニスタンの戦争を報道〔株式会社日本電波ニュース社会社概要 〕。劣化ウラン弾の使用の実態や被害を取材した〔株式会社日本電波ニュース社会社概要 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本電波ニュース社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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